あなたにとって、「宗教」とはどのようなイメージだろうか。
現代の日本の中で「宗教」と言うと、ある種独特の特別なイメージがつきまとう。
普通に日本で生まれ育つと、
産まれたときは神社へ行き、結婚するときはキリスト教会で、死んだら仏教寺院でお葬式をする。
ときたまわけのわからない新興宗教の類が駅前で雑誌を配っていたり、
突然家を訪ねてきたりするようなことはあるだろうが、
普通に暮らしている限りでは学校教育も企業活動も行政機関も、
基本的に宗教とは関わりなく行われるのが原則である。
つまり大半の日本人は「宗教」と真っ向からぶつかる機会はそう多くはない。
故に日本人は、政治・経済・法律・社会生活と宗教を全く別のものとしてとらえている。
世界における「宗教」とは
ところが、日本以外のほとんどの国では、
政治・経済・法律・社会生活、それに技術や芸術などの文化に至るまで全てを包含したものが「宗教」なのである。
現代において、これのいちばんわかりやすい例はイスラム教だ。
キリスト教もかつてはそうだった。
ヨーロッパにおいて「絵」と言えば、花や景色を描いたものでなく、
宗教画のことを指していたような時代があった。
エホバの証人を統括するものみの塔聖書冊子協会本部があり、
その発祥の地でもある米国という国も、宗教によって作られた国だ。
だから、宗教とは何かを知らずして、
米国とはどういう国かを知らずしてJWという存在とそこで起きている出来事を理解しようとするのは無理がある。
(→「米国という国家から読み解くエホバの証人」はこれをテーマとする。)
宗教を避けて通れない現代
折しも現代は「グローバル社会」などと呼ばれ、
宗教と縁の薄い日本人でもやはり、
宗教を踏まえずして世界でビジネスをしようなどということは無謀な時代になってきている。
時代がJWに追いついたとでも言おうか、今はJWというものを理解するのにまさに相応しい時なのではないだろうか。
エホバの証人をはじめ、キリスト教を謳う宗教団体で苦しんだ者は、
そのこと自体に様々な感情を抱くと思う。
ブログなどを用いて愚痴を言い、傷を舐め合うことでその感情が解放され、癒されるのであれば良いが、
どうやら必ずしもそうなっている様子は見受けられない。
あのエホバの証人(ものみの塔)という宗教団体は何だったのか。
それを理解するには、キリスト教とは何かをまず問わねばならない。
エホバの証人の布教活動の主力
エホバの証人を知る人ならよくご存知のとおり、
布教活動の主力である「正規開拓者」は大抵の会衆では主婦の中年女性(1世)が多くを占めていると思われる。
もっと正確に言うならば、
日本における全盛期のエホバの証人といえば、そうだった。
しかし、日本で生まれ育ち、日本的な自然観や宗教観に囲まれて育った、
それほど学問に縁もなく暮らしてきた中年女性がエホバの証人になったところで、
正しく西洋的な「神=God」の概念を理解し、他人に伝えられるとは失礼ながら到底思えないのである。
もしあなたがまだ会衆に参加しているなら、あるいは成員だった時代を思い出してみて、
この人はとてもよく聖書を分かっているなと思える正規開拓者はどれほどいただろうか。
平たく言えば、この人は頭がいいなと思える人はどれほどいただろうか、ということだ。
信仰さえあればいいではないか、という意見も当然あるだろうが、
布教して人を巻き込み、人生さえ変革させるとなると話は違ってくる。
根本的に日本と違う「神」との関係をどう理解するかによって生活の仕方さえも違ってくるからだ。
結果的に日本のエホバの証人は、地域社会と相容れない存在にすらなってしまう。
端的に言えば社会との隔絶、親族との間の溝ができてしまう。
キリスト教国家であることのメリット
エホバの証人(ものみの塔)発祥の地である米国は、
国家自体がキリスト教に基づいて作られている。
よって異端ではあるが、
キリスト教を土台としている新宗教であれば地域社会の中に存在していても軋轢を生みにくく、
家族が破壊されるといった問題も日本ほどには起こりにくいようだ。
というより感じにくいと言うべきか。
例えば日本における結婚は「家庭どうし」という面が大きいのに対し、
西洋社会では「個人どうし」として理解される面が大きいといった具合である。
独自の発展を遂げている日本のJW
日本は社会自体がキリスト教ベースでできていない割に、
中世以来キリスト教が布教されたきたおかげでキリスト教というものが遠い存在ではなかったため、
エホバの証人も戦後、信者を爆発的に増やすことには成功したが、
結局中核になるべき人材も上っ面の理解(ものみの塔の教義を勉強すること)で終わっているため、
この国の中で組織をどう運営していくかを誰も考えていないのではないかと思う。
聖書研究を「聖書レッスン」などと言い換える、
市民の迷惑を顧みず住居不法侵入まで犯して行うポスティングの開始など、
小手先のテクニックに走った近年の宣教手法はまさにその証左ではないだろうか。
完全に本質を見誤っている。
その根本には「正しい教えなのだからわかる人は受け入れるはず」という思い込みがあるのだろうが、
受け入れた人をどう導いていくかについてもやり方を誤ったようだ。
結局、週に2回も(以前は3回)王国会館に信者を集めて教育している割には、
全く聖書についても宣教についても深く理解できていないと言わざるを得ない。
どんなにまじめに「研究」をしていても、深くなっていくのは統治体が教えたい、
エホバの証人的に都合の良い教義への理解だけである。
一旦は隆盛したものの、優れたリーダーが育成されず今は衰退の一途を辿っている。
これが「神の是認を受けた唯一の組織」と称する団体の姿だろうか。
どう頑張ってみても、日本においてエホバの証人はカルト化する運命だったのかもしれない。
(※)この記事の後半は、2013年8月にTwitterにて連投した内容を元に再構成、加筆修正したものです。