宗教法人なるモノへの大いなる誤解
「宗教法人」という概念はしばしば誤解されがちである。
法律論で言うと「宗教団体」と「宗教法人」は同一ではない。
一般的には「宗教法人」が「宗教団体」の上に来る概念だと思われがちなのだが、実際は全く逆である。
端的に言えば、「宗教団体」というものの一側面を管理している国の制度が「宗教法人」だと言える。
宗教法人となるための要件
まず、日本で宗教法人として認められるためには、主に5つの重要な要件がある。
①能動的な活動
宗教団体が現実に存在し、実際に活動していることが前提条件となる。
つまり布教活動をしており、相当数の信者がいる必要がある。
②指導者の存在
住職・宮司・牧師、JWで言えば長老など。
法人としては最低3人以上の責任役員を置くことが義務付けられている。
③公衆的礼拝施設を備える
ここが最も大きなポイントで、宗教法人法は「礼拝の施設その他の財産を所有し、これを維持運用する」と定めており、これは宗教団体の物理的な基盤が必要であることを意味する。
宗教法人でなければ礼拝施設(不動産)には固定資産税がかかることになるため、宗教団体の財産的側面を管理するのが宗教法人であると定義づけるのが宗教法人法の存在意義としてはいちばんわかりやすい。
よって礼拝施設は賃貸ではなく自己所有であることと、その土地建物は抵当権等の負担が付いていないことが前提となる。
④永続性があること
そしてそのような宗教団体が既に存在しているということと、将来的に継続して活動する団体であることが必要なので、それを妨げるような要因(負債など)がないことが重要だ。
⑤運営能力があること
また、存在しているだけではなく団体の業務や事業を運営する必要がある。
ここは他の法人と同じく、財産目録や収支報告といった事務的な運営能力が求められる。
これらの要件を満たすことで、宗教団体は所轄庁の認証を得て宗教法人としての地位を得ることができる。
宗教法人の独特な起源
というわけで宗教法人という制度は、一般の法人とはかなり異なる特殊な性質を持っている。
会社や社団など一般の法人は、まず法人という「ハコ」を作ることからスタートし、その中に様々な要素を入れていくという構造だ。
しかし、宗教法人はその逆で、先に活動している団体が存在し、後から法人格が付与されるのだ。
宗教法人の構造と責任
前述のとおり、宗教法人格が与えられる決め手は「礼拝施設を有すること」である。
これは、宗教団体の財産的側面だけを宗教法人として管理していることを意味し、宗教団体が宗教法人よりも上位の概念である理由となっている。
人に関する点では、責任役員が3人必要であること以外、構成員に関する規定はない。
宗教法人の運営は責任役員の最低3名だけで決められ、構成員に対する社会的保護も、逆に責任も存在しない。
この点では、趣味のサークルと変わらない。
そもそも宗教団体の側から見ても、宗教を構成する3要素、つまり①崇拝対象・②教義・③指導者と信者(仏教で言う仏・法・僧にあたる)、が揃えば宗教団体を運営することは可能なわけで、税制面の優遇と一定の社会的信用が不要であれば無理に宗教法人格を取得する理由がない。
逆に宗教法人格を取りたいのであればこれらが存在することを示す必要がある。
宗教法人と信者の法的関係
多くの人が誤解しているのは、「宗教法人」と「宗教団体の信者」の間には法的にほとんど関係がないことだ。
排斥処分について言えば、趣味のサークルから除名されたのと変わりない。
法的な関わりがあるのは、責任役員が排斥された時だけである。
宗教法人の構成員であることを法的に証明できるのは、責任役員になっている者だけだ。
宗教法人設立時には一般的に「信者名簿」を用意する必要があるが、これは「信者が相当数いること」を証明する手段であって、宗教法人法で規定されているわけではない。
信者の入れ替わりや増減は予想され、宗教団体の構成員は法的に管理されていない。
いわゆる宗教法人への解散請求(=宗教法人格の剥奪)に関して、「信者らの信仰への迫害である」とか「信教の自由の侵害である」といった論を並べる者が見受けられるが、法的な面から言えばほとんどなんの関係もないと結論づけられる。
ただ宗教法人格の存在が、その宗教団体に対する一定の社会的信用を担保している側面は否定できないので、社会的には無関係とは言えない。
社会的に問題のある行動を行ってきた宗教団体の信者らに社会的な非難が浴びせられたり、圧力がかけられたりということは当然起こり得ることだからだ。
(※)この記事は、2023年3月2日にX(旧Twitter)にて連投した内容を元に、加筆修正したものです。