エジプト側から見た「出エジプト」の真実
前記事のとおり、旧約聖書において神は自分の民の苦しみを見たゆえに、
イスラエルの民をその先祖に約束した土地へ連れていく、とモーセに告げた。
神の意思を受けたモーセは全てのイスラエル人をエジプトから連れ出すべく、ファラオに要求するが、
ファラオにしてみればそれは困るというわけで、これを拒絶した。
そこでイスラエル人の出エジプトを認めさせるため、
神はモーセを用いて災いをエジプト中にもたらし、
最後には神の使いがエジプト人の男児を皆殺しにしたため、
ファラオも遂に降参してこれを認めた、という流れになっている(注1)。
今までの流れに沿って初めに指摘しておきたいのは、
ファラオの決定を左右させたいのであれば神もファラオに対してアプローチをすべきであり、
エジプト人の罪のない幼児や赤子を虐殺するという相変わらず残虐極まりない神が今回も登場するということである。
エジプトがソドムとゴモラのときと同じような扱いになっていると言える。
さて、これをイナゴの大発生であるとか疫病の蔓延であるといった、
歴史的に普通にありえそうな話は実話だと仮定して、
神の存在を無視したうえで史実を確認すると、どのようなことがわかるか。
残念ながら直接的にこの時期のことを扱った史料は今のところないようだが、
西暦1世紀から2世紀にかけて活躍したローマ帝国の歴史家および政治家であったコルネリウス・タキトゥスによる「同時代史」という本の一部で、
出エジプトに関する見解が述べられている。
これは西暦105年ごろに書かれており、
西暦70年のイスラエル滅亡付近のことが主に書かれている(現存するのは三分の一程度)のだが、
その中に出エジプトに関する記述がある。
それによると、以下のような内容が書かれている。
エジプト全体に体を膿汁で汚す疫病が流行ったとき、ファラオがハンモンの神託に救済の伺いを立てた。
すると『王国を祓い清めよ。この種の人間は神々に疎まれている。別の土地へ連れてゆけ』と命じられたという。
こうして大勢がエジプト中より探しだされ、集められて荒野に捨てられた。
これが一番多い、著者の一致した見解である。
いかがだろうか。
旧約聖書に書かれた内容とはまるで正反対である。
しかもこれは「エジプト側から見た歴史」ではなく、
衰亡期のローマ帝国で自由な言論が許される環境にあった歴史家たちの見解として、
つまり多分に客観性をもって書かれたものと言えるのだ。
この疫病がなんであったかまでは推測の域を出ないが、
そういったものがイスラエル人の間に、あるいはエジプト人の間にまでも発症し、
蔓延していたとしたら当時の人々の恐怖の程度は容易に想像がつくだろう。
考古学的に考える「出エジプト」の真実
また、考古学的な面から数々の「モーセの奇跡」を探ると、ある事実に注目できる。
出エジプトの時期は、
古代エジプト第19王朝3代目の王ラメセス2世(西暦前1290-1224年)の時代といわれる。
この頃、地中海のサントリニ島(ギリシャのアテネとクレタ島の中ほどに位置する島)の火山が大噴火を起こしている。
モーセの奇跡は、この火山の噴火によるものであるとするのが、科学者による見解となっている。
・噴火により「雷と雹(ひょう)」、「火の柱」が発生する。
・火山灰により「暗闇」に覆われ、「かまどのすす」が発生する。地中海東部は、夏季になると南東の季節風(「エテジア」と呼ばれる)が吹くが、これに火山灰が乗るとそれはエジプトに降り注ぐ。
・「カエル、ブヨ、アブ、イナゴの大発生」は、火山の噴火や地震などに伴って起きる現象として知られる。動物たちが噴火の影響から避難するため、大移動が起きる。
・火山ガスが雲に取り込まれると酸性雨が降り、プランクトンの「赤潮」を大発生させ、魚から水中の酸素を奪う。この赤潮がナイル川を血のように赤く染め、魚を死滅させた。
・前述の疫病に関連するが、この時代に「膿汁の出る腫れもの」が症状となる病気といえば、ペストが最有力である。「疫病」「初子の死」は、噴火により大発生したブヨなどの虫を媒介として、ペストが広まったと考えられる。
・「モーセの海割り」の前に吹いた東風も、前述の「エテジア」と思われる。
・「海割り」の要因も、サントリニ島の大噴火によって説明ができる。詳しい説明は省くが、火山によりできたカルデラ(地中の空洞)に海水が一気に流れこむと地中海沿岸では大規模な引き潮が発生する。これが海割りで、引き潮のあとには逆に大津波が発生するため、それによってエジプト軍が海に飲み込まれることとなる。
ちなみに、旧約聖書中にある「紅海」は現在の紅海とは別の場所(つまり、地中海沿岸)と考えるのが科学的な見解である。
根拠は上記のとおり、
サントリニ島の噴火によって全ての説明がつくから、ということと、
旧約聖書の英訳時のミスに関する問題である(注2)。
・モーセたちを導いた「火と雲の柱」は噴煙。出エジプトを果たしたイスラエル人は、荒野の中で、遠くに見える噴火・噴煙をコンパス代わりに進んだ。
もっとも、この全てのタイミングの良さこそが神の奇跡だと言われればそうかもしれない、
と思わせるような話ではある。
ものみの塔はこういう場合、
上記の科学者による見解(サントリニ島の噴火関連)だけを聖書の記述を裏付ける「神による奇跡の科学的証拠」として出版物に載せ、
聖書の記述と矛盾するタキトゥスの著作については無視する。
サントリニ島の噴火に関して過去に出版物に記述があったか否かは未確認だが、
同種の例はいくらでもものみの塔・目ざめよ!の中に見つかるだろう。
「とにかく神はいる」「旧約聖書中のエピソードは全て史実」という結論ありきで全ての出版物を書くため、
エホバの証人はいくら出版物を「研究」しても、
一面的な情報しか得られないということの好例である。
エホバの証人はやはり「聖書を信じている」のではなく、
「ものみの塔の統治体による出版物を信じている」のだ。
(注1)出エジプトのいきさつ(およびモーセの生涯)については1956年のチャールトン・ヘストン主演映画「十戒(原題: The Ten Commandments)」に詳しく描写されており、ものみの塔関連の書籍やビデオなどよりずっと面白い。上映時間4時間にわたる大作。
(注2)原語では、割れた海は”ヤム・スフ”。これを英訳すると、”Reed Sea=葦の海”だが、これを”Red Sea=紅海”としてしまったのでは、という見解。”葦の海”は地中海とつながっており、引き潮の影響を受けるいくつかの湖のうちの一つとされる。
(※)2019年9月の記事移設に際し、改題しました。