約束の地は、不毛の地
「ヤコブ」の項の最後で触れたとおり、ヤコブの息子ヨセフの時代になって、
どういうわけかこの一家はせっかく神から与えられた約束の地カナンを離れることになる。
ひとつには旧約聖書に書かれているとおり、カナンの地が飢饉に見舞われたことがあげられるが、
その頃兄弟によって疎まれたヨセフは穴に落とされ、
通りすがりの奴隷商人によって拾われ、隣国エジプトへ連れて行かれた。
そこで神の力添えによってファラオに次ぐ宰相の地位に上り詰め、
その後エジプトに訪ねてきた兄弟たちと奇跡の再開を果たしたヨセフは(このときもベニヤミンをどうのこうので色々ありましたね)、
父のヤコブと自分の兄弟たちを全員エジプトに呼び寄せたということになっている。
さて、彼らはのっぴきならない事情でエジプトに逃れてきたということになってはいるものの、
元々彼らのいたカナンは神に繁栄を約束された地であった。
そんな重要な場所カナンをいとも簡単に捨て去り、しかもその後誰一人として帰ろうとはしなかったのである。
これはやはり辻褄が合わない。
どうしても元からカナンに住んでいたことにしたいユダヤ人
さて、この先はいよいよ考古学的にも史実に基づく出来事が登場してくるが、
それによれば西暦前1230年にイスラエル人がエジプトを出る。
これは一応、歴史的事実とされている。
イスラエル人は昔から奴隷としてエジプトにいた。
そして、それ以前のことは何も分かっていない。
ということはつまり、聖書筆者(公式にはモーセということになっているが)は、
自分たちの先祖が昔から奴隷だったという事実を塗り消すためにこのエピソードを考え、
なおかつエジプトを出た自分たちが再びカナンの地に住むことの正当性を担保しようとした、
と考えるべきなのだ。
つまり、これこそが旧約聖書が、細かく言えばモーセ五書(トーラー)が書かれた最大の理由である。
大昔は自分たちの領土だったのだから今も自分たちの領土だと主張する、
というのは近年日本の周辺国でもよく見られる論法である。
無論、本当に昔はそうだったのかについて確たる資料はなく、
仮にあったとしても現在の所有権を無条件でひっくり返すほどの正当性があるとは言えないのだが。
選んだはずの民に何もしなかった神
ともかく、カナンの血を離れたヤコブ一家は、
その後430年もの間エジプトで暮らし、イスラエル人は60万人以上に増えた。
ついにはファラオが恐れるまでの勢力に増大したため、ファラオはこれを恐れ、
兵士に命じて男の新生児を見つけ次第ナイル川に捨てさせた、ということになっているが、
この記述も常識的に考えれば非常に怪しい。
なぜなら、イスラエル人は奴隷であり、働き手である。
それを多すぎるからという理由で殺すとあとあと奴隷の頭数が不足しかねないし、
なによりわざわざそんな残虐な行為をして奴隷たちの怒りを買うことは、いくら奴隷相手でも避けたいはずだ。
もし本気で人減らしを考えたのであれば、
わざわざ男の子が生まれてから殺すより先に、それを産む女を殺してしまうべきだろう。
大人の女性を残し、女の新生児も生かすとなると女性ばかり増えてしまうが、
行わせるべき仕事に肉体労働が多いであろうことを考えると、これも筋が通らない。
また、奴隷が増えすぎて…というのが仮に本当だったとしても、
そうであれば余剰人員は解放すれば良い。
記録によれば当時のエジプトは奴隷が余っていたどころか、
他国から奪ってきた人間を奴隷にしていたという。その奴隷の数が記録に残されている。
このことからすれば、奴隷が増えすぎた説は史実としては否定される。
こういった嘘の前提条件を踏まえたうえで、ついに神が登場する。
エジプトのファラオが奴隷であるイスラエル人に散々嫌がらせをしたことにし、
それが神を怒らせた、というロジックで便利な「神」にご登場願ったわけだ。
神は自分の民の苦しみを見たゆえに、
イスラエルの民をその先祖に約束した土地へ連れていく、とモーセに告げ、
話は出エジプトへとつながっていく。
しかし整理しておきたい。
そもそもこの神は、カナンにおける子孫の繁栄を約束しており、
先祖はまさしくカナンの地にいたはずだ。
そして、ヤコブは神の意思に反する行いはしていなかったはずだが、
なぜかカナンの地は飢饉に見舞われた。
ヨセフの件は予定外だったとしても、それに呼び寄せられた人々が400年以上もの間帰国しなかったどころか、
奴隷になり、虐げられていた。
彼らの信仰していた神は、いったい何をしていたのだろうか。
そしてこの苦難の期間の間、イスラエル人は本当にこの神を信仰し続けていたのだろうか。
モーセ五書の筆者が本当にモーセであるにしろ、ずっと時代を下った他の誰であるにしろ、
旧約聖書がエジプトからの脱出を機に書かれたことはほぼ間違いのない事実だろう。
その時点で自分たちの悲惨な歴史を塗りつぶすために考えられた神話、即ち伝説が、ここまでの話なのだ。
イスラエルの神であり、今なおユダヤ教の神であり、
エホバの証人が信仰しているとする「エホバ」、
またの名をヤハウェ、ヤーベなどとして知られる唯一神が、ここに誕生した。