異教徒を批判するための寓話
これまで見てきたように、創世記の最初の部分(少なくともアブラハム登場まで)は原初史と言われ、史実性が疑わしい。
その部分の最後に出てくるのがバベルの塔の話だ。
この話は単純に、同じ1人の人間の子孫がどうして違う言語を使っているのかという疑問に対する回答とするのが一般的な解釈だ。
別の解釈では、この話は「石の代わりに煉瓦を、漆喰の代わりにアスファルトを」用いたという、
古代における技術の革新について記述されていることから、
人類の科学技術の過信への戒めとして書いたという見方もある。
バベルの塔と言えば一般的にはピーテル・ブリューゲルの絵画が非常に有名だ。
ちなみにストラスブールの欧州議会メインタワー「ルイーズ・ワイス」はこの絵のバベルの塔を模したデザインとなっている。
このピーテル・ブリューゲルの絵画のような形をしたバベルの塔は、ジッグラトという名で実在したらしい。
チグリス・ユーフラテスの周辺にジッグラトの遺構が22か所発見されているといわれ、
7階建てで高さ90m、最上階には神殿があったらしい。
なぜ塔のような形状なのかについては、天体観測のためや神に近づくためなど様々な説があり、
エジプトのピラミッドとの関係もあるのではないかという仮説もある。
ともかく、バベルの塔という名前が示すとおり、バビロンと関係があると考えると、
ヘブライ人(後の古代ユダヤ人)がバビロン捕囚によってバビロンに連行されたときに実物を見たのではないか、という仮説が成り立つ。
バビロン捕囚当時の新バビロニア王ネブカドネザル2世は、空中庭園を建設したという伝説を持ち、
マルドゥクの神殿つまりジッグラトを改修したとも言われている。
カインとアベルの話もそうだったように、ヘブライ人は常に周辺の民族による脅威にさらされていたため、
その敵を貶める目的で原初史の寓話や旧約聖書内の各種エピソードは書かれている。
この話もそれと全く同様に、当時のバビロンの都市批判が込められており、
偶像崇拝をもたらすこのような豊穰な沃地文化の否定が込められていると考えると、非常に意味がすんなり通る寓話なのだ。
バビロンで巨大な神殿や建造物を見たヘブライ人たちが語り伝えたのがバベルの塔の物語へと発展したのではないだろうか。
ものみの塔が制作する「バベルの塔」的寓話
現代においてものみの塔が制作してきた若い人向けの教訓的ビデオや、
「世」に出た人が必ず不幸な結果になる地区大会の現代劇などは、まさにこれと同じ構図である。
敵性文化に対するアンチテーゼが主題であると分かって見ていればあれほど単純で稚拙な作りのお話もそうそうないとわかるだろう。
それを観てエホバの証人は、ためになったの励まされたのと有難がるのだ。
よく指摘されるように、北朝鮮のプロパガンダ作品と不気味なほど似ている。
古代エジプトなど低地の豊穣な都市文化では、かの有名なバアルなどの異教神を崇拝していたことから、
ヘブライ人から見れば堕落した文化として描かれている。
この都市文明との戦いが旧約聖書の歴史そのものであり、モーセの出エジプトなどがその代表例だ。
このバベルの塔の話で、ようやく神話的な原初史が終わり、
言語がバラバラになって散った全部族の中でイスラエル部族が選ばれ、
カナンの地への移住をテーマとする族長物語に入る。
さて、そのメソポタミアのウル(現在のイラク南部)にあったバビロンから脱出し、
約束の「カナンの地」(現在のイスラエル、パレスチナ付近)に移住したのが、ユダヤ民族の始祖であるアブラハムだ。
「ヘブライ人」という名はこのときの「移住民」という意味からきており、
ヘブライ人はカナンの地付近で遊牧生活を行うこととなる。
繰り返しになるが、遊牧民であったことが背景となってカインとアベルの話につながるわけである。
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