エジプトからカナンへ(3) モーセの十戒

古代ユダヤから読み解くエホバの証人

旧約聖書出エジプト記(4) 十戒から読み解くモーセの役割

モーセは律法を受け取るための人物

引き続き、旧約聖書中のモーセに関する記述(イスラエルの史実モーセの実在性)について整理をしておきたい。

イスラエルが「神の統治する国」として根拠としているものが、
神がモーセに与えたとされる「十戒」である。

遡ってエジプトに住み着く以前、神がアブラハムにカナンの地を与えたこととし、
エジプトを出たときにはシナイ山において国の統治のために必要な十戒、
およびその他生活に関する細々とした規定や指針を記した600以上の法律でできた宗教法のようなものをモーセに授けた、とされる。

エジプトから出る以外にモーセのもう一つの重要な役割はまさにこれであり、
アブラハムが神から土地を与えられるための人物だとすれば、
モーセは十戒を与えられるための人物である。

しかし、出エジプトからそれほど経たずに十戒を授かっているにしてはその時点で国の形など影も形もないわけだし、
後にたまたま起きた地震のおかげで土地を手に入れられたのだとすると、
おそらくヨシュアが現れるまではかなり「寄せ集め」の様相が強かったのではないかと思われる。

なにしろ、モーセが十戒を授かって降りてきたら民はあっさり偶像崇拝をしていたくらいなのだから。

いずれにせよ、何か神の意思が関わる大きなことが起きるときには、
それを担うだけの優れたヒーロー、つまりは預言者が必要だ。

モーセは神からの約束、つまり旧約聖書という名の由来である「旧約」を授かったのだが、
これがなければユダヤ教自体が成立せず、この神を取り除いてしまったらモーセには何も残らない。

よって、実在性の疑わしいモーセのほうが、
現実に成功を収めた軍師であるヨシュアよりもずっと重要な存在とされている。

ヨシュアは少し、損な役回りかもしれない。

ものみの塔が実は重視している旧約聖書

なお、当ブログではキリスト教から見た一般的な呼び名に合わせて「旧約聖書」との表記を用いているが、
ものみの塔発行の新世界訳聖書ではこれを「ヘブライ語聖書」と言う。

解釈の仕方は様々だろうと思われ、
なおかつ私は教義的な面については素人同然なので断言はしないが、

キリスト教では一般的に、旧約聖書はあくまでも「旧約」であるので
直接ここに書かれた宗教法に従うことはしない(対してユダヤ教徒は現在でもこれに従う)。

しかしものみの塔ではしばしば、
統治体の考える都合の良い教義の裏付けとして旧約聖書の文言も自在に引用するため、
この点から言っても純粋な「キリスト教」ではないと言えるのではないかと思われる。

例えば輸血拒否に関してエホバの証人は直接的には新約の使徒の聖句を根拠とするが、
血に関する律法はモーセの律法以前に、

創世記にて神がノアに与えた命令に含まれていたので、
今日でも有効だと考えると説明するなど、
ユダヤ的教条主義(文字通りの意味で解釈する)の象徴のような適用を行っている。

時代を追うごとにこういった教条主義的な指示が増えてくるのがものみの塔の特徴の一つだが、
これは単純にそのほうが信者を統制しやすいからであろう。

細かな規則で雁字搦めに縛り、
それをどの程度真面目に守るかで信仰の度合いを測るシステムを作り上げるに当たっては、
多分に旧約聖書の記述が貢献しているのではないかと思わされる。

エホバの証人の歴史の途中までは、あるいは部分部分においては、
従来のキリスト教の堕落ぶりへの反発として、
聖書を解釈してそれに正しく従おうとする動機があったのかもしれない。

例えば喫煙の禁止などはそういった考えから起きたものと思って良いのではないだろうか。

しかし、現代の統治体は自らが神に成り代わって信者に伝えたい、
指示したいことを思いつくと、その結論に合わせて聖句を引用し、ものみの塔に載せる

これは多くのエホバの証人批判者が指摘していることだ。

そのために常日頃から聖書の全体像へは決して目を向けさせず、
文脈の中の聖句一つを恣意的に取り出し、
主張の根拠とする手法を徹底してきた。

であるからして、どうしても信者の目は聖書ではなく「ものみの塔」へ向けさせられる。

必然的に現代の人間によって執筆され、間違いが書かれることもあり、
以前書かれたことが度々覆されることで知られる「ものみの塔」が、
聖書と同等の価値を持つものとして認識されてしまっている

あなたがエホバの証人によって聖書を学んだ元信者であれば、
一つひとつの聖句には読んだ覚えがあっても、
それらが全体としてどのような意味を持つかについては今ひとつはっきりしないと感じているのではないだろうか。

エホバの証人は、「聖句」は知っていても、「聖書」のことはまるで知らない。

それが、信仰を離れた外側から聖書を眺めてみて、改めて私が感じることである。
エホバの証人をやめた今、私は無信仰者である。

相変わらず私は聖書全体を知っているとはおこがましくてとても言えない状態なのだが、
細かい部分はさておき、聖書が全体として何を伝えたいかを理解するのはそれほど難しいことではないのも事実だと思う。

その「キモ」の部分すら伝えられないエホバの証人は、
なんと無駄な活動に力を費やしていることだろうか。

(※)2019年9月の記事移設に際し、改題しました。

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