ものみの塔の宗教法人法違反の可能性
ものみの塔とエホバの証人の各会衆が、
宗教法人法上、関連のない別個の単立法人として存在しているにも関わらず
実質的には明確な指揮命令系統下にあることは、
確かに社会通念上不適当・不誠実として見られる可能性がある。
だが、残念ながら宗教法人法というものを調べれば調べるほど、
この件についてはものみの塔・エホバの証人の各会衆が
法的になんら咎められるところのない運用を行っていることが明らかになるばかりなのである。
おそらく、勘違いを起こす最大の原因は、「包括」「被包括」という言葉にある。
多くの人は「包括宗教法人」が宗教の1団体を統括する”上位”の存在であり、
「被包括宗教法人」がその傘下に置かれる”下位”の存在だ、というイメージがあるのではないだろうか。
つまり「ものみの塔聖書冊子協会」が上位で包括、
「エホバの証人の○○会衆」が下位で被包括であるべき、というイメージである。
それはエホバの証人であった者なら誰もが共有できるイメージで、
実態としては正しいのだが、実は法律的には違う。
宗教法人法の基本知識
宗教法人の基本知識として、
まず「単位宗教法人」と「包括宗教法人」というものがある
(宗教法人法第2条、以下全て平成26年12月当時に有効であった宗教法人法に基づく)。
単位宗教法人とは、礼拝施設を持つ、物理的な存在だ。
神社や寺院、教会、王国会館などがある状態がわかりやすいが、極端な話、マンションの1室でも良いわけである。
対して包括宗教法人とは、概念的な存在だ。
仏教で言えば「宗派」に当たるもので、複数の単位宗教法人をまとめた存在であり、礼拝施設などの建物を持つか否かは問わない。
たとえば世の中では1つの学校法人が複数の学校を複数箇所に設置している例がよくあるが、
「それぞれの学校」が単位宗教法人、「学校法人」が包括宗教法人と考えると関係がわかりやすい。
学校は施設を持っている必要があるが、学校法人はそれ単体で何らかの施設を持つ必要がない。
この「単位宗教法人」がさらに2つに分けられ、
それが「単立宗教法人」と「被包括宗教法人」である。
単立は独立した宗教法人で、
被包括は包括宗教法人の傘下にある宗教法人となる。
そしてここが最大のポイントであるが、
宗教法人法上の「包括・被包括」という関係は、
エホバの証人がイメージするような「支配・被支配」とか「所属・被所属」という関係ではなく、
あくまでも宗教団体としてお互いに自主・独立の関係なのだ(法的には、の話)。
つまりそこに上下関係という概念は、ない。
日本では徹底した信教の自由の観点から、
どの団体がどの団体の指揮命令系統に属するか否かといったことについて法律でなんら制限を課しておらず、
法的には包括・被包括の関係になるもならないも当該団体どうしの自由であるし、
まして団体どうしの宗教的な上下関係については一切ノータッチですよ、
というスタンスで宗教法人法は立法されている。
ある宗教団体が別の宗教団体に与える影響についてはあくまで当該宗教法人の規則に記載すべきであって、
包括・被包括の関係であろうと単立どうしの関係であろうと、
宗教的なことはそれぞれ勝手にやってくださいよ、というのが法律の趣旨である(注1)。
本来、宗教法人法とは宗教団体が法人格を持って活動することができるように定められたものであって、
信教の自由という観点から言えば、一定数の信者と運営システムさえあれば、
法人格を持たずに宗教団体として活動することも十分可能である。
ものみの塔とエホバの証人の宗教法人格
実際、エホバの証人の各会衆には法人格を持っていないところも多く、
ひと口に「エホバの証人は全国に21万人いる」と言っても、
その中には宗教法人に属している者と属していない者がいるというのが実態だ。
つまり、日本における約21万人のエホバの証人とは、
①一つの単立宗教法人「ものみの塔聖書冊子協会」に所属する者
②複数の単立宗教法人「エホバの証人の○○会衆」に所属する者(実際の名称は様々)
③複数の任意団体「エホバの証人の○○会衆」の実質的な構成員
の合計を言ったものである、と言える。
それを考えれば「実態としてものみの塔聖書冊子協会がエホバの証人の各会衆(法人格の有無に関わらず)を指揮命令系統下に置いている」ということこそが重要であって、
それぞれが単立であろうが、ものみの塔が包括で各会衆が被包括であろうが、
法的にはなにも問題がないと結論せざるを得ないのである。
ちなみに宗教法人は、信者その他の利害関係人であれば、
宗教法人の事務所備え付け書類等の閲覧につき正当な利益があり、
かつ不当な目的によるものでない者から請求があったときは閲覧させなければならないこととなっている。
その請求対象は、宗教法人法第25条第2項の書類及び帳簿となっており、
前述の宗教法人の「規則」や認証書、また役員名簿、財産目録および収支計算書などが含まれる。
信者であれば請求可能なので、
あなたが現役でれば開示請求してみるのも良いかもしれない。
ただし閲覧請求があった場合、
それに応じるかどうかの判断は宗教法人が自主的かつ個別的に行うことになるため、
なんだかんだで拒否されたり、後で要注意人物として目を付けられたりすることになる可能性は高いだろう。
世間一般での宗教法人運用例
一般的な仏教の例では○○宗○○派の総本山を名乗る寺がそのまま包括宗教法人となり、
その宗派に属する寺が被包括宗教法人となっている場合が多い。
キリスト教系では、カトリックは国内16に分かれた司教区ごとにそれぞれ単立宗教法人であり、
各教会は法人格を持たないが、
それぞれが単立であるからと言って全体としてカトリックであること、そのように見られることには変わりがない。
一方、正教会や各プロテスタント系はそれぞれ1つの包括宗教法人を置き、
その傘下に被包括宗教法人として各教会を置く、という形を取っており、
おそらくこれがエホバの証人のイメージする「ものみの塔と各会衆の関係」に最も近いと思われる。
面白いのは、包括宗教法人として登録していながら
傘下に被包括宗教法人を1つも持たない宗教法人が多数存在することで、
これは傘下に置いている団体はあるものの、
それらが法人格を持っていないということを意味している。
世間においては仏教系を中心として、
包括・被包括関係の廃止に関して裁判が起きる(宗教法人法第78条の解釈が争点)ことがあるが、
前述のカトリックの例を見るまでもなく、
「関係のある宗教法人は包括・被包括の関係でなくてはならない」というような規定は全くない。
少々残念ながら、「ものみの塔の宗教法人法違反疑惑」は争点にもならないのが実際のところである。
“上手いことやっている”ものみの塔
むしろ、既に多くの指摘があるとおり、
ものみの塔聖書冊子協会が単立宗教法人であることで財務に関して各会衆に報告をする義務がないなど、
違法どころか日本の法システムを最大限上手く利用した、
本部にとって実に都合の良い法人運営をしていることが浮き彫りになるばかりである。
宗教法人法の趣旨に照らして考えれば、
仮に包括・被包括の関係だったとしても「勝手に離脱すればいい」だけであり、
極端な話をするならば元から単立宗教法人である各会衆は、独自の判断でものみの塔との関係を絶ち、
たとえばプロテスタントの1教派の傘下に被包括宗教法人として入るというようなことも可能なのだ。
宗教法人法にはいくつかの罰則があるが、
その多くは登記や手続上の漏れや虚偽申告に関するものばかりであり、
いずれも代表役員などに10万円以下の過料(注2)が課されるだけである。
もっとも最後に一言付け加えておくならば、
日本のエホバの証人にとって事実上の総本部である、
神奈川県海老名市に所在する単立宗教法人「ものみの塔聖書冊子協会」が、
宗教団体として社会に対して、また事実上の信者である全国のエホバの証人たちに対して
誠実な組織運用をしているとは判断できない。
あくまでも合法であり、法的に問題視されることがないというだけの話である。
(注1) これらの趣旨は、判例(東京地裁昭和48年1月17日判決・判例時報695号21頁)でも明確に述べられている。
(注2) 過料(かりょう/刑罰の「科料」と区別して「あやまちりょう」とも)とは行政罰の一種で、交通違反キップを切られたときに納める反則金などと同様の性格のものである。刑罰ではないことから、宗教法人法に違反している「違法行為」ではあっても、「犯罪」ではない。そもそも日本において「犯罪」とは、刑法を始めとした刑罰法規に規定されている行為を行った場合にのみ言う。
(※)2019年9月の記事移設に際し、一部加筆しました。
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