元エホバの証人コミュニティの罠(4) 批判者編

社会問題としてのエホバの証人

元エホバの証人コミュニティの罠(4) 批判者編

ものみの塔を糾弾することの罠

さて、無事にものみの塔は間違っているという認識に至り、
元エホバの証人コミュニティに慰めを得て自らの体験や心情を吐き出し(「(1)新参者編」参照)、

ものみの塔に関する真実を嫌というほど思い知らされた(「(3)覚醒者編」参照)人は、
ある程度自分の気が済むと今度は自らがものみの塔批判をする側に回るパターンが非常に多い。

おそらくこの手のものみの塔糾弾記事が現在のブログ界ではもっとも多く書かれており、
それは当ブログにおいても主軸の一つとなっている。

しかし、やはりここにも罠が存在する。

糾弾記事に関して言えば、まさにメリットとデメリットは表裏一体と考えて良い。

言うまでもなく、またこれまで繰り返し記述してきたとおり、
これらの記事が多数存在することでたとえば
「なんとなく調べてみた」現役エホバの証人の目に留まり、誰かを「覚醒」させるに至る、
そのような効果を存分に発揮していることは事実だ。

「覚醒者」たち自身の「ネットを見て覚醒した」という証言もそれを裏付ける。

しかし問題は、発信者となった人自身が一体どこへ向かっているのか、という部分にある。
ものみの塔を糾弾する目的は、一体なんだろうか

ある人は、自分のためかもしれない。

特に「覚醒」しながらも現役を続けざるを得ない立場である人や、
家族を奪われて苦しんでいる非信者など、
現在進行形でエホバの証人問題に苦しむ人々はものみの塔を糾弾することでそれなりに溜飲を下げることはあるだろう。

ただしそれによって問題が解決するわけではない。
毒吐き・私怨の撒き散らしによる自己満足だという面は、残念ながら否定できない。

ある人は、現役を「覚醒」させるためだと言うかもしれない。

前述のとおり、それは確実に効果を発揮している。
自分がつらい目に遭ったことにより、同じように苦しんでいる人々にも救いの手を差し伸べたい、と思う。

そのような動機で何らかの社会問題に取り組み始める人というのは一般社会でもよく見かける。

しかし、今の自分がそれを行うに足るだけのものを持っているのかどうか、
言い換えれば自分はもうエホバの証人問題による苦しみから解放されているのかどうかはよく自己吟味するべきだろう。

自分の中のエホバの証人問題を解決したいと思う気持ちを、
他人をエホバの証人から脱出させることで解決することはできない。

「なんとかしたい」という思いからものみの塔糾弾を続けても、
いつまで経っても自分の中ではエホバの証人問題が解決されないという罠に陥りかねないのである。

またある人は、エホバの証人問題を社会に訴えるためだと言うかもしれない。

その考え方自体は大変良いと思うのだが、
それに関しては手段が適切でない可能性が高いと言わざるを得ない。

というのは、このシリーズの「(2)被害者編」で述べたとおり、
ネット上の元エホバの証人コミュニティは、反JWの反JWによる反JWのための閉鎖的コミュニティであって、
一般社会に訴えかけるために存在しているわけではないと言えるからだ。

これまで10年以上にわたり、
ネット上で元エホバの証人コミュニティは機能し続けてきたにも関わらず、
一般社会に訴えかけるという面では目立った成果をあげておらず、
やはり対象は関係者に限られているのが現状だ。

現在のところ、一般でも取り上げられるようなアプローチの仕方はおそらくもっと別にあるのであり、
近年話題となっているエホバの証人に関連した書籍や映像作品は、
元エホバの証人コミュニティとは全く別の角度から世に出ていることを考えても、そう言えるだろう。

もっとも、これは今後の展開次第では変わってくるかもしれない。

反JWウェブサイトのパイオニアとして有名な「昼寝するぶた」が書籍化されたようなことが、
今後も起こるかもしれない。

ただし、それでもやはり一般社会に広く訴えるとは考えづらく、
ものみの塔に何かダメージを与えるとも考えづらいのだが。

これらをまとめると、ものみの塔を糾弾しさえすれば何か問題が解決するかのような思い込みに陥ること
これが「批判者」の陥る罠であると言える。

手段を目的化させてはならない

本テーマの前半で論じたエホバの証人問題解決のための手段としても、
ものみの塔の実態を世間に知らしめて脱会を促進することと入信者を減らすことはやはり重要だ。

しかし、ものみの塔が間違っていることを外部に喧伝することと、
自分自身がエホバの証人問題から解放されることとは全く方向性が違う

具体的に言えば、ものみの塔が日本の宗教法人法や貸金業法に違反している可能性があることや、
児童性的虐待を隠蔽していること、教義の根幹が間違っていることなどと、
自分がエホバの証人をやめてこの先どう生きていくのかを考えることとは全く別の問題だということである。

そもそも思い返せばそれらの問題は、
自分がエホバの証人であった頃に苦しんでいた原因とは全く別のものであることがほとんどなのではないだろうか。

個人としてエホバの証人問題を解決するためには、
おそらくは教義に関する問題よりも家族や会衆の成員など人間関係に関する問題のほうが大きく、
宗教法人に関する問題はほとんど関係がないはずだ。

誤解のないように付け加えるが、
これもやはり「自分の問題が解決していないうちにものみの塔の糾弾記事を書くな」
ということを言っているのではないことを理解してほしい。

「こんな記事がありました。ひどいですね。」
「これこれという事実にショックを受けました。早く偽りの組織から出ましょう!」
「ものみの塔は本当にいいかげんにしてほしい。」

そういう思いや主張を綴ること。
これは大いに行えば良いと思っている。

書くことでエホバの証人問題に関する見識を深め、
自分に関係する問題を考察して、
問題の消化や解決への糸口がつかめるという効果は当然期待できるからだ。

しかし個々人のエホバの証人問題というのは、
ものみの塔だけでなく、個別の人間関係や家庭環境、能力や病気といった要素も総合的に考え、
自分自身で解決していかなければならない問題のはずだ。

それを、ものみの塔を糾弾しさえすれば、
ひいてはものみの塔が崩壊しさえすれば全ての問題が解決するかのように思い込んでしまうことがないようにすべきだろう。

個々人のエホバの証人問題解決を考えるとき、
ものみの塔糾弾はあくまでも手段のひとつであって、決して目的ではないのだから。

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