元エホバの証人コミュニティの罠(1) 新参者編

社会問題としてのエホバの証人

元エホバの証人コミュニティの罠(1) 新参者編

ブログとSNSの時代が到来

さて、これまで考慮してきたのは主に元エホバの証人の特性についてと、
それが個々の特性を見れば一般社会でもありうることではあるが、
集団になると明らかに全体に共通した特性が浮かび上がるということだった。

前回考慮した元2世vs.元1世という構図は、
それがある種の形で表面化してしまったものだと言える。

ここからは、「エホバの証人2世のコンプレックス 具体論(2)」の
「不幸自慢は無意味(具体論)」という項目で
元エホバの証人のコミュニティにもやはり少なからず問題が存在する
と述べたことについて詳しく考察していきたいと思う。

元エホバの証人コミュニティが抱える潜在的な問題点について、
可能な限り一般化を含めた視点から考えたい。

予め断っておくが、私はどれか特定のブログに問題があるとか、
これこれといった内容は書くべきではないとか、そういったことは微塵も考えていない。

むしろ傷ついて組織を出てきた人たちは積極的に感情を吐露したり、
自らの体験を綴って気持ちにも考えにも整理をつけたりすることが立ち直るために非常に有効だと思っているし、

そういった個人の経験を綴ったブログは多ければ多いほど、
新たに組織を出てきた誰かの目に留まって共感や癒しや示唆を与えたりすることができるので、
昨今の読みきれないほどの元JWブログ増殖は良いことだとすら思っている。

さらに言えば、傷ついた人たちに対して理解を示し、
慰めと心の支えを提供できるブログ主たちが多く存在するということ。

これが「ホームページと掲示板の時代」から
「ブログの時代」へと移行した、いちばんのメリットだろう。

元エホバの証人によく利用されている無料ブログサービスは間違いなくアメブロであるが、
アメブロは単なるブログサービスというだけでなく、

ユーザーどうしの交流を起こすSNSの要素も併せ持っているため、
「ホームページと掲示板」の双方の役割を同時に引き継いだと言うことができるだろう。

掲示板だとなんとなく人間的イメージを持って初めから接することができるのは
掲示板の管理人や一部のヘビーユーザーに限られていたのが、

それぞれがブログアカウントを持ち、そこに記事があることで
初めからそれぞれをより明確な「人間」として感じられる環境が整ってきた。

また、ブログ記事というものは一般的に、読むか読まないかは読み手に選択権がある。

読みたいと思うものを読めばいいし、
あまりそう思えなくても自分のためになると思えばやはり読めばいいし、
そうでなければ読まなくて良いものだ。

だから、ブログ記事に関してはそこに虚偽が書かれているのでない限り
存在することに問題はない。

もちろん書いた内容については個々が責任を持つべきだが、
これからも大いに、多種多様なブログが書かれていけば良いと思っている。

元エホバの証人コミュニティのメリット

さて、まず元JWブログ界が存在することのメリットを大まかにまとめると、
まず前半でも述べたとおり、

自分の悩みやなんとも処理しがたい感情を吐き出すことで自分の気持ちに整理をつけること、
同じような体験をした仲間とそれを共有することで慰めを得ること、
先に組織を出た人々の経験に学び、これからの自分の生き方を考える助けとすること、

などが挙げられる。

おそらくエホバの証人をやめて孤独感に苛まれていたところ、
ブログ界で皆の理解を得られ、
慰めを得られたらとても心地よい。

せっせと記事を読み書きするはずだ。
元JWブログに限らず、個人ブログというものには全て明確な共通点が存在する。

それは「承認欲求」というものだ。

これを一切なくして公開ブログを書いているという者がいれば、
それはほぼ間違いなく嘘をついている。

誰しも、誰かに読んでほしい、認めてほしいと思うからこそブログを書いているはずであり、
これはブログの世界だけでなく人間ならば誰でも持っている欲求だ。

そしてこれは間違いなく、
組織から出てきたばかりの元エホバの証人がまず求めるものであろう。

コミュニティの新参者が陥る罠

この承認欲求が、第一の罠となる。
いわゆる「傷の舐め合い」が「依存」に変わってしまう

元エホバの証人にとって、元エホバの証人ほどこの傷を理解してくれる人はいない。

以前、さんざん「世間の人は無関心で、傷を理解してはくれない」ということを書いたが、
こちらではその逆で、理解してくれ過ぎる
それで、甘えてしまう

一般社会に自分の居場所を作る前にこれをやってしまうと、
明らかに元JWブログ界のほうが居心地がよくなって、
リアルとネットのバランスが崩れたままになってしまう危険性がある

このバランスが崩れた状態というのは極端な話、
たとえば世間で言うところのニートオタク、

つまりゲームの世界やアニメの世界に自分のリソースの全てをつぎ込んだ結果、
実社会とのバランスが著しく崩れてしまった状態をイメージしてもらうとわかりやすい。

最悪、そういう状態になってしまう危険性があるということだ。

誤解してほしくないのは、この段階ではもう「ブログ記事」は問題ではないということだ。

記事ではなくて、そこでできた人間関係の問題に移っている。
リアルでも友人と言えるような関係に昇華し、
エホバの証人の話題に関係なく付き合えるような状態になっていることが理想だが、
ブログの世界全体としてはそのように関係を区切るのは難しい。

さらに誤解してほしくないのは、
この人間関係において基本的に悪人は1人もいないということである。

エホバの証人をやめたい人、
やめたばかりの人、
既にブログを書いている人、
新参者を優しく慰める人、
ネット上の付き合いを越えて友人関係となっていく人たち…

どこにも悪意を抱く者は存在しない。
それだけに罠となり得る構図が存在する。

「いつかは卒業しろ」というのでもない。

いつまでもブログを書いていても個人の自由なので良いのだが、
実社会でもちゃんと居場所を作るべき、
その努力をするべきということは大いに主張したい。

居場所を作るとはつまり、人間関係を構築するということだ。

それは仕事でも家庭でも趣味でもなんでも良いが、
元JWブログ界が自分の中で占める割合が大きいままであればあるほど、
精神的な意味での脱JWが遠のく。

いつまでも囚われたままになってしまうし、
そういう姿を晒し続けることは、
今度は逆に組織を出てきたばかりの元エホバの証人に対して悪い印象を与えることになる。

かつて自分がしてもらったように「慰めを与える」どころか、
「この人いつまで経ってもこんな感じで引きずっているのか」
と思われたら明らかに悪影響だろう。

要は、自分がエホバの証人をやめて実社会で幸せになる努力を続けること、
また自分の中における元JWコミュニティの割合を適切なバランスに保つこと、
これを一人ひとりが意識することが必要だ。

昔も今も、元エホバの証人コミュニティにおける大きな課題と言えるだろう。

(※)2019年9月の記事移設に際し、一部加筆修正しました。

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