中世におけるローマ・カトリック教会の堕落

ヨーロッパ文明から読み解くエホバの証人

中世におけるローマ・カトリック教会の堕落

ローマ・カトリックの隆盛

キリスト教会の東西分裂以後、
宗教改革によるプロテスタント誕生に至るまではエホバの証人を考察する上で必要だと思われるトピックはあまりないのだが、

宗教改革が起きるに至ったいきさつとしてローマ・カトリックがどのように隆盛し、
腐敗していったかを簡単に年表形式で振り返っておきたい。

754年 フランク王国(現在のドイツを中心とした地域)の国王ピピンが領地を寄進し、ローマ教皇領が成立。
771年 フランク国王チャールズ大帝がゲルマン民族の大半をまとめ、「神聖ローマ帝国」としてキリスト教に統合。
1077年 神聖ローマ帝国皇帝が教皇に屈服した「カノッサの屈辱」により、教皇権の伸張が著しいものとなる。
1096年 教皇権がますます隆盛。聖地エルサレム奪還を主目的とした十字軍遠征の開始。ローマ・カトリックによる西欧の統一。
1198年 当時の教皇インノセント3世により、教皇権は頂点を極める。

カトリック教会の堕落と、ものみの塔の堕落

ローマ・カトリックは15世紀末までに西欧全域に土地を持ち、僧院・修道院の数も増える一方であった。
教皇庁には莫大な金銭が流入し、それによる堕落も極まっていった。

昔、日本でも僧侶がエリートであったように、ヨーロッパでも聖職者や司祭と言えばエリートだった。
その肩書を金銭によって売買するといったことが行われた。(注1)

また、信者から強制的に集めた寄付(収入の十分の一、什一)を用いて豪華な教会や、
ひどい場合には聖職者自身の豪邸を建設したり、私腹を肥やしたりもしていた。

カトリックの司祭や聖職者は結婚を禁じられているため、
性欲に負けて女性信者と関係を持ったり、

ひどい場合には幼女または少年を強姦する(ペドフィリア)場合もあり、
これは現代に至るまでカトリックの問題であり続けている

そのようなわけで、「息子を駄目にしたければ、司祭にせよ」などという格言が残っているほどである。

エホバの証人の中で地位を金銭的に売買しているという話はまだ聞いたことがないが、
たとえば特定の権力者に取り入るか否かが特権獲得の是非を分けるというのは多くの場合事実であり、
そこに「聖霊」がはたらいていないのは明らかだと一般には見られている。

信者の寄付を用いて豪華な施設を建設し、
一部の特権階級が良い暮らしをするのはまさにものみの塔自身が行っていることだ。

今現在、その象徴的な存在がウォーウィックの施設であろう。

児童性的虐待の問題はエホバの証人においても顕著であり、
エホバの証人の会衆では長老であっても結婚を禁止されているわけではないにも関わらず、
少年少女に手を出す者が多い。

カトリックではこの点において自らの罪を認め、
2008年に当時の教皇ベネディクト16世は被害者に直接面会して謝罪をしたが、

対してものみの塔は組織内で児童性的虐待者を野放しにし、
その罪を隠匿した責任を一切認めようとせず、
米国において厳しい敗訴を喫している

現代のエホバの証人においては、かつてのカトリックと同様かそれ以上に悪質な堕落が見られ、
「息子を駄目にしたければ、長老にするかベテルに行かせよ」
などといった格言が十分に通用するような状況となっている。

無論いずれの場合にも、清い心を持った聖職者または長老が組織内に全くいなかったということを意味するわけではない。

中世における異端審問と、エホバの証人の排斥

さて、10世紀以降になり、カトリック教会内には信徒活動という新しい形の運動が生まれた。
聖職者ではない一般信徒が自発的に、真にキリスト教的な生活を目指すという運動である。

これは後のプロテスタントと同じく、カトリック教会の堕落へのアンチテーゼから生まれたものでもあり、
この当時に終末思想が流行ったからというのも一因として指摘されている。

終末思想が流行るのには明確な理由がある。

いま生きている社会が政治的、経済的に不安定で、
人々が困窮に苦しむような時代においては、
現世での救いを諦めて未来での救済を求めるようになる。

当時のヨーロッパがそのような状況であったし、
ものみの塔が隆盛するに当たっては、第一次世界大戦という不安定要素が大きく影響した。

終末思想を主要な教義とする教団にとっては、
とにかく世の中が乱れ、不安定で、荒れているほうが都合が良い

皆が幸せでないほうが都合が良い。

終末思想をある人々が持つということは要するに、
世の中の不安定化を望む集団ができあがるということであり、
即ちそれは社会に対する脅威となる可能性を孕んでいる。

だから、エホバの証人は一見平和的な集団であっても、
思想的には反社会的集団であり、警戒すべき存在なのだ。

平和ボケした日本社会には、宗教団体というものに対するこのような視点が欠けていると痛切に感じる。

翻って、信徒活動に関しても当然カトリックは同じように考えた。

そういった正統信仰に反する教えを持つ(異端)という疑いを受けた者は異端審問にかけられ、
有罪とされた者は火刑などの形で処刑された。

この当時はカトリックと政治権力が密接に結びついていたことから、
特に12世紀以降は西欧の諸勢力が各地において権威の集中化を目指す中で、

異端者が宗教的のみならず、
政治的・社会的な統治システムをも不安定化させる危険分子とみなされるようになっていった。

これと同様に、社会的な死を与える宗教的制裁・破門システムがエホバの証人の行う「排斥」である。

こうしてカトリックに反対する、あるいは分裂につながりそうな勢力を強引に抑えこみ、
堕落し続けたカトリック教会はついに贖宥状(免罪符)を発行するに至り、
これが引き金となってマルティン・ルターによる宗教改革が始まることとなる(注2)。

(注1) 英語でsimony(サイモニー、僧職売買罪)と言うが、これは使徒8:18-19に出てくるシモンが語源である。彼は、聖霊を与える権威を金で買おうとして使徒ペテロに叱責された。

(注2) かつては「免罪符」と呼ばれていたが、これだと「罪を免除する」という意味になるため、本来の「罪の償いを減ずる」という意味として「贖宥状」という呼び方が現在では正しいとされている。

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