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日本における「エホバの証人」
「エホバの証人」という名前は、日本では有名だ。
「ものみの塔」という団体名/雑誌名も、かなり知られている。
しかし他の多くの新宗教と同様に、その実態についてはほぼ知られていないと言って良いだろう。
・たまに家に訪ねてきて雑誌を配ろうとする人たち
・輸血を拒否する人たち
・昔クラスメイトに1人くらいエホバの証人がいたなぁ
程度の印象しかないのが普通だろう。
「知ってはいるけど、興味はない」というのが正直なところだと思われる。
これは、例えばネット上の元エホバの証人コミュニティ内ではああだこうだと言われてはいても、
社会の中のエホバの証人はわりあい平和的で、
問題を起こす宗教であるという認識が薄いからではないだろうか。
エホバの証人はカルト宗教か?
当ブログでは、エホバの証人はカルト宗教であるという前提で述べているが、
一般社会でそこまでカルトだと思われているかというと、
これは実際微妙なところかと思われる。
無論、自分の友達や家族には入って欲しくないと思われているだろうが、
それは何もエホバの証人に限った話ではない。
エホバの証人よりも目立って問題視されている宗教はいくらでもある。
米国の科学史家マイケル・シャーマーによる「カルトの定義」によれば、
以下のとおりその9つの要素のうち、
7項目は完璧に当てはまり、
2項目はおそらく当てはまる。
△指導者に対する崇拝
→これは見解が分かれるところだろうが、エホバの証人は事実上の統治体信仰を行っていると言える。
○指導者の無謬(むびゅう)性 (無謬…誤りのないこと)
→統治体は絶対に間違いを犯さないという確信があり、予言を外してもその度に「新しい光」などという言葉で覆い隠してきた。
○指導者の知識の広さ
→教義的なことはもちろん、日常の些細なことまで統治体の指示に従わされる。会衆単位でも長老によるローカルルールがまかり通っているところが多くある。
○説得のテクニック
→新たな信者獲得と信者の信仰心補強のために、寛大なものから威圧的なものまで様々な手段を用いる。
△秘密の計画
→信者にならなければ知ることのできない、信仰の真の目的と計画が曖昧としているといったことはない。しかし、新規入信者や一般大衆には明確に提示されていない組織の真実がある可能性は極めて高い(別の機会に述べることとする)。
○欺瞞
→入信者や信者は、その頂点に立つ統治体や支部の中枢部に関してすべてを知らされず、また大きな混乱を招くような裁判や不備、厄介事に発展しそうな事件、あるいは状況は隠蔽されている。支部や本部の会計、資産運用、児童性的虐待裁判など枚挙に暇がない。
○金融面および性的な利用
→入信者や信者は、その金銭およびそのほかの資産を差し出すよう説得される。遺産の寄付や保険金の受け取り人に支部を指定するなどの勧めがある。しかし、統治体など指導的立場にある者が複数の信者との性的関係が許されているということはない。
○絶対的な真理
→さまざまなテーマにおいて、統治体が見いだした究極の知識に対する盲信があり、以前とは正反対のルールであっても無批判で従うことを要求される。
○絶対的な道徳観
→統治体、あるいは長老などが確立した、組織の内外を問わず等しくあてはまる、思考および行動に関する善悪の基準への盲信。その道徳の基準にきちんと従えば、組織の一員としていられるが、そうでない者は排斥(破門)されるか戒め(罰)が与えられる。
また、同様にフランスにおいて社会的に警戒を要する団体を定義する「セクト構成要件の10項目」においては、
以下のとおり10項目中6項目が当てはまり、
2項目が半分程度当てはまる。
○精神の不安定化
→ハルマゲドンや神の裁きへの恐怖で信者を縛り、新たな信者を獲得する。
△法外な金銭的要求
→あくまで自発的に出させる形を取りたがるが、他宗教に比べて法外とまでは言えない。なお、寄付の取り立てについては、定額の送金を会衆に要求する、会衆で積み立てている基金を一定額残して全額送金させるなどといったことが行われはじめており、「法外」と言えるやり方、レベルに発展していく可能性は否定できない。
△住み慣れた生活環境からの断絶
→いわゆる”出家”まではさせないものの、非信者との関わりは制限する。一見社会の中にいるようで、精神的に社会と断絶させる状態を理想としている。
○肉体的保全の損傷
→子どもには肉体的な虐待を施して従わせる。
○子供の囲い込み
→同上。子どもを信者に育てないのは罪であると教えられる。
○反社会的な言説
→社会的ルールより組織の内部ルールを優先させ、それによりときには命をも落とす(輸血拒否問題)。
×公秩序の攪乱
→現時点で、少なくとも日本国内においては公的な(国の)秩序を乱しているとまでは言えないが、仮に信者数が極端に増加した場合や、学校や会社などの小さなコミュニティにおいてはこの限りではない。なお、思想的には非常に反社会的な性質を秘めており、統治体からの指示があれば容易に公秩序を乱すであろうと目される。
○裁判沙汰の多さ
→件数が多いというわけではないが、その一件一件の重大性については言うまでもない。米国においては児童性的虐待裁判が次々と起こされており、その流れは世界中に波及しつつある。
○従来の経済回路からの逸脱
→フルタイムの仕事につくことを神に対する罪と定める。
×公権力への浸透の試み
→行わない。建前としてはむしろ避ける。公権力と良好な関係を築くことには比較的熱心だが、一方で公権力はエホバの証人にとってわかりやすい仮想敵として機能しているため、表立って浸透することはできない構造にある。
これらの要素から考えるに、
社会的に問題のある宗教団体である、
と断ずるのは決して行き過ぎた批判ではないと言えるだろう。