元エホバの証人コミュニティの罠(6) 現役親編

社会問題としてのエホバの証人

元エホバの証人コミュニティの罠(6) 現役親編

1世親がエホバの証人になる動機

前回の「(5)毒親編」の補足的な内容となるが、
元エホバの証人コミュニティに集う元2世の親がいまだ現役である場合、
おそらく多くの場合には「本物の毒親」ではないということが言えるのではないかと思う。

エホバの証人2世と1世 -行動原理の比較-」においては1世親が子どもに信仰を強要し、
鞭をふるうようになる行動原理を書いたが、
多くの場合にその動機は真剣に子どものためを思ってのことであったことは否定できないはずだ。

では、なぜ彼らはそもそもエホバの証人になり、
後に「毒親」的言動・行動をするに至ってしまったのか。

ここのところを簡単に考慮しておきたい。

最近は時代の変化とともに必ずしもそうではなくなってきているかもしれないが、
日本においてエホバの証人にもっとも勢いのあった70~80年代に入信した人々は、
基本的に「良い人」たちであったと思う。

人間性が邪悪で、自らの欲望を満たすためだけにエホバの証人になりに行ったなどという人はほとんどいないはずである。

一つの典型的パターンは、最初から「真理」を探し求めており、
その結果としてエホバの証人に惹かれた人たちである。

人生とはなにか、人はなぜ生きているのか、この世界はなぜどのように存在するようになったのか…

その答えは聖書の中にあり、その聖書を世界一正確に、
熱心に研究しているのがエホバの証人である、と言われる。

本来なら答えのないような問いに対しても、
聖書から(独自解釈ではあるが)はっきりとした答えを返してくれる。

自分たちから学べばあなたも「真理」を知ることができる、と誘われる。

それを信じて入信した人々は確信が深いだけに信仰も強く、
後々まで容易にエホバの証人をやめることはない。

このタイプは若い主婦が比率としては多いものの、
老若男女を問わず存在し、エホバの証人歴が長くなるほど狂信の度合いを深めていくことが多い。

一方で、心の拠り所を求めて、あるいは人生の導きを求めて入信した人たちもいる。

その多くはやはり若い主婦であったが、
普通に結婚して家庭に入り、忙しい夫は家におらず、
子どもができて子育てもやっと落ち着いてきたかなというタイミングで、

昼間の暇な時間を持て余していたところへエホバの証人の訪問を受け、
子育てに役立つだの夫との関係が良くなるだの幸せな家庭を築けるだの、
あるいはやはり「真理」を知れるだのといった甘い言葉に引き寄せられて入信してしまう。

そんなところがもう一つの典型的なパターンだろう(注)

つまり「ものみの塔はカルト宗教である」と言っても過言ではないということは
このテーマの最初(日本社会と「エホバの証人」問題)で述べたものの、

信者の元々の入信動機としては決して
「反社会的で破壊的な影響をもたらす犯罪的教団」に魅力を覚えたからなどではなく、
現役信者であれば今でも反社会的などではないと固く信じているはずである。

1世親が子どもを”虐待”する動機

そのような、ごく普通の良識を持ち、
自分の家族やとりわけ子どもの将来を本当に真面目に心配する心優しい母親
(もちろん父でも良いが、やはり圧倒的に母親の場合が多い)が、

結果として子どもの心に大きな傷を残すような肉体的・精神的加虐を行うに至ってしまうところに
エホバの証人の真の怖ろしさの一端があると思う。

このように教えなければ、集会に出席させなければ、悪いことをしたら鞭で叩いて従わせなければ、
あなたの子どもは滅ぼされて(殺されて)しまいますよ、などという教義を信じさせられたら、
母親ならば子どもを失う怖さには勝てないだろう。

一般的に母親にとって子どもは何より大事な宝物で、
それを守るためならなんでもする、くらいの気持ちを持つであろうことは想像に難くない。

それがエホバの証人になることによって、
子どもが自分自身を満足させるためのツールに変わってしまう。

何しろ子どもの命を守るという母親として当然の欲求が満たされたばかりか、
自分もその大仕事を成し遂げた賞賛されるべき母親であり、

なおかつこの世でどんなに苦しい思いをしようが、
不慮の出来事で死んでしまおうが、将来的には永遠の命が手に入るのだ。

これは実に魅力的な話であったことだろう。

そのような意味において、親の側から見れば鞭で叩いたというのは
「自分勝手な欲求を満たすために虐待した」のとは話が違う

だからこそ、現役信者であれば今でも悪いことをしたとは思っていないだろうし、
ものみの塔の偽りに気づいて自らエホバの証人をやめた元1世であっても、
悪いことをしたとは思うものの、

子どものためを思えばこその行動であったという部分に逃げ道を求め、
それに免じて許してほしいと思っている、
なかなか自分から頭を下げて謝るのは難しいと思っているのが正直なところではないかと思う。

特に元2世はこの点に関して、親の側から見た、
また当時の時代背景を踏まえた想像力がはたらきにくいということが言えるのではないだろうか。

当時は今のように「エホバの証人の危なさ」が一般的に知られてはいなかったし、
体罰がまだまだ容認される風潮でもあったし、
自分がまだ子どもを持たない元2世であれば子を持つ親の気持ちにもなかなか思いが及ばないという側面もある。

それを度外視して、自分の親がとんでもないカルトにハマった究極のダメ人間で、
反社会的存在であり唾棄すべき害悪であると決めつけられるとすれば、
やはり親の立場からすればいたたまれないだろう。

それはまさに「(5)毒親編」で述べたとおり、
親子関係の改善を極めて難しくさせてしまう要因となり得る。

これは、親が現役のエホバの証人であっても、なくてもである。

(注)当然ながら新興宗教が流行る理由については、時代的な背景や世相が深く関係してくるため、ここではあくまでも典型例をざっくりと述べているに過ぎないことに留意してほしい。1970~80年代はエホバの証人だけでなく様々な新興宗教の勢力が伸びた時期であり、入信理由も概ね共通点があることがうかがえる。

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