ヨシュアによるカナン征服の「成功」
とにもかくにも、カナンの地を征服したイスラエル人は、
いよいよ現在のパレスチナ付近に国を構えることとなるが、
周辺の異民族との抗争のため、
それらを排除するまで200年近くも政情の定まらない期間を過ごすこととなる。
カナンに居を定めた当時のことを扱っている旧約聖書の書はヨシュア記だが、
これは「カナンをイスラエルに与える」という神の約束が実現した記録だったと言える。
もっともヨシュア記の終わりの時点ではまだ多くの未占領地が残っていたわけだが、
それでも神の約束は果たされたとされている。
もしイスラエルがヨシュアの前で誓ったとおり神に仕えたならば、
カナン全土はイスラエルがすぐにでも支配できたはずだ。
地震があってカナンを征服したのが西暦前1200年ごろと推定され、
イスラエル王国が統一され王制に入り、
ダビデが現れてエルサレムを都としたのが西暦前1004年のことである。
この間、ヨシュアの死以来イスラエルには王がなく、
カナンにそれぞれ土地を持った12部族が別々に暮らしていたとされる。
すると、また例によっての繰り返しなのだが、
自分たちをエジプトから救出してくれたありがたい神のことなどすっかり忘れてしまい、
アシェラやらバアルやらといった悪名高い別の神を拝み始めてしまうのである。
裁き人の時代におけるイスラエルの「失敗」
そこで神によって堕落を守るため、
また他民族の侵略から部族を守るために登場する英雄が「士師」であり、
その活躍を記録した書が「士師記(ししき)」
すなわちエホバの証人の用いる新世界訳聖書で言うところの「裁き人」だ。
士師記で書かれる内容は非常に単純で、
人々が偶像崇拝を行い神が怒って異民族がイスラエルを苦しめる→イスラエルが神に助けを求め、
神の立てた士師(裁き人)によって救われる→助かるとまた人々は偶像崇拝にもどり堕落するの繰り返しだ。
こういった神への不忠実が原因で、
200年もの間イスラエルとカナンの異民族との抗争が続いたのだと語る書が、士師記である。
よって、ヨシュア記が「勝利の書」とも呼ばれるのに対し士師記は「失敗の書」とも呼ばれている。
本来、神がいるのであれば、
そしてその神が自分たちをエジプトから救出してくれたと信じるのであれば
そう簡単に別の神を拝むということは考えづらい。
これは明らかに人間の力だけで周辺の異民族に対抗した結果、
制圧するまでに200年かかってしまい、
その原因をやはり後代になって神になすりつけることにした、
という解釈がもっとも妥当であろう。
前記事で考察したとおり、出エジプトが実際にはなかったとすれば、
この当時のイスラエル人はエホバ(ヤハウェ)などという神は知らない。
そうであれば、異民族に勝つために効果的な神を求めて
取っ替え引っ替え拝み倒していたという解釈も成り立つだろう。
士師記から考える「信仰者」
信仰的な解釈からすると、
士師記は「イスラエルが幾度失敗しても、神はイスラエルを見捨てない」
ということを表す記録と取れる。
人の道に外れたことをしでかす子どもを叩いてでも連れ戻す親の愛にも似て、
神の道から外れようとするイスラエルを懲らしめてでも連れ戻さずにはいられない神の愛を、
歴史というかたちで預言している書、ということになる。
信仰者的にはここで感動するところなのだろうが、
それは「全世界を創造した神がイスラエルという少数の一民族だけをなぜか選び、
一方的に土地を与える約束をして従わないと苦しめる」という謎の大前提を受け入れた後の話であり、
また例外なく自分をその「選ばれた民族の側」に固定した視点で物事を見て、
もし自分が「選ばれていないカナン人やエジプト人」に生まれていたらどうだっただろうか、
という視点では一切考えようとしない傲岸不遜さが多いに手伝っていると感じる。
上手くいけば神のおかげ、いかなければ自分か悪魔が悪い。
それ以前に自分は疑う余地なく「選ばれた民の一員」である。
視野の狭い信仰者ほどそう考える。
現代のものみの塔・エホバの証人に見られるこのような特質は、
やはりはるか昔のユダヤ人から間違った形で受け継いでしまったものだと感じる。
少なくともキリスト教を自称するからには、
全人類を対象とした新約こそが今従うべき神との契約であり、
最低でもキリスト教の他教派には敬意を払ってしかるべきであろう。
キリスト教以外の宗教を認めることまでは難しいにしても、やはり敬意は持つべきである。
それができない信仰者に対して敬意を払う必要はない。
彼ら自身が信仰を異にする他者に、また信仰を持たない者に対して敬意を持たないからだ。
(※)2019年9月の記事移設に際し、改題しました。