プロテスタントの誕生
「中世におけるローマ・カトリック教会の堕落」で述べたとおり、
異端審問が行われていた時期であるからして、
ルターのところにも招待の手紙がカトリック教会から届くこととなる。
この呼び出し方、やり口が現代のエホバの証人の審理委員会(排斥・戒めなどの処分を決定する密室宗教裁判)と大変似ていて、
「話し合いがしたいので是非お越しください」と丁寧に呼ばれるのでそうかと思って出かけて行くと、
捕らえられ宗教裁判にかけられ、火刑に処されるという寸法なのである。
ルターはそれがわかっていたため、公開討論を受けて立つこととした。
場所もバチカンではなく、自国内のライプツィヒであり、議論も優勢に進めた。
ルターは教皇の権威やカトリック教会の存在そのものを否定するまでに至ったため、
結果としてルターはカトリック教会を破門されることとなった。
政治権力と宗教権力が密接に結びついていた時代は宗教的な罪を負うと社会的な死をも意味したが、
諸侯の力がそれなりに強くなってきていたため、
ルターは破門されても支持者の領主の居城にかくまってもらうことができ、
そこで10年をかけてドイツ語訳聖書を完成させるに至る。
それまでの聖書と言えば全て手書きの写本で、
一般には神学者しか読めないラテン語のものが使われていた。
民衆にとっては、現代の日本で言うならば僧侶しか意味のわからない仏教の経典のような位置付けの聖典だったわけである。
だからこそ、聖職者が右だと宣言すれば、皆も右だと信じるしかなかったわけだ。
それが当時発生した印刷という最先端技術により、ドイツ語の聖書が量産された。
これによって人々の聖書に関する知識は飛躍的に高まり、宗教改革はいよいよ後戻りできない状態となっていった。
かくして、カトリック教会のキリスト教徒は、従来のカトリックと新しいプロテスタントとに分裂する。
「プロテスタント」の名は、ラテン語で「抗議」を意味する「プローテスターリー」から来ている。
なお、日本ではカトリックを「旧教」、プロテスタントを「新教」と呼ぶことがある。
「信仰によってのみ義とせらる」
カトリック側においても、プロテスタント側との論争を通じて、
宗教改革以前からあった自己改革への動きが再燃し、
対抗宗教改革(カトリック改革)というカトリック内の改革が行われるに至った。
カトリックは贖宥状の販売は停止したものの、
神へのとりなしを行う権限は自分たちにあるという主張を未だに堅持している。
ルターの批判の本質は、その贖宥状や教皇のとりなしの権限といった、
聖書に書かれておらず正当化できない教義を廃せよというものだ。
一神教では人を救えるのは神だけであり、地上の教会というのは人間の集まりでしかない。
人間が神の権限を代行できると考えるなどおこがましく、そもそも聖書にそんなことは書かれていない。
そうルターは考え、原点回帰を志した。
ルターはウォルムスの帝国議会において、次のような有名な論述をしている。
「聖書の証明および明白な論拠によって私を説得するのでなければ、私は自説を取り消すことはできません。教皇も宗教会議もしばしば誤りを犯し、かつ自ら矛盾したことは明白なので、そのいずれにも私は信をおきません。」
ルターは徹底的に聖書中心主義であり、人は聖書のみを仲立ちとし、
信仰によって神と直接結ばれるべきだという立場を取った。
それゆえにプロテスタントは聖職者階級を認めず、すべてが平信徒で構成される。
実際にはそれをまとめる責任者が必要なため、平信徒の代表として牧師(パスター)を置く。
よって、カトリックの神父は結婚できないが、プロテスタントの牧師は結婚し家族を持てるわけである。
カトリックの過ちを繰り返しているものみの塔
さて、エホバの証人の間では、
勝手にマルティン・ルターについて「正しい信仰への回帰を掲げた本来の意味での”エホバの証人”」として
自分たちと同じ精神を持っていたと考えられるため、
楽園に復活してくるであろうなどという見解を持っている。(注)
しかし、現代のものみの塔の現状からすれば、
やはりルターはものみの塔の権威も認めないのではないだろうか。
「ものみの塔には聖職者は存在しない」とプロテスタントのようなことを言っておきながら、
実際には信者からの寄付・献金によって生活する
少数の特権階級(統治体・本部または支部委員・支部の奉仕者・巡回監督など)が存在する。
また、その特権階級は統治体を頂点として
各会衆の平信徒に至るまでピラミッド型の組織構造となっており、
全体として一つの信仰共同体を形成している様はカトリック教会の構造と酷似している。
聖書を中心とし、聖書に書いてあることのみに従うと言いながら、
実際には教団の発行する機関誌や特権階級者の言葉のほうに重きが置かれ、
またその教義は聖書に書いていないことであるとして批判の対象となる。
ルターは人は個々に神と信仰によって直接結ばれるべきであるとしたが、
ものみの塔はカトリックで言えば教皇にあたる統治体という最高権力機関を置き、
これを通してでなければ正しい信仰には加われず、これに従わなければ救いはないとする。
統治体の指示に従うことが、事実上の神へのとりなしとなっているわけである。
さらに言えば、平信徒に対して
金銭の寄付や開拓奉仕、建設奉仕、自発奉仕、特権階級者への食事や宿舎の提供などといった形で
有形無形の寄付をさせることを「特権」と称しているのは、構造的には贖宥状と似ている。
財力や労働力によって統治体の是認を得ることが神の是認を得ることにつながる、という構図である。
ルターがもし現代のエホバの証人としてこれらの状態を見たら、統治体の権威を認めることは決してないだろう。
そして審理委員会の場でこう言い、排斥されるに違いない。
「聖書の証明および明白な論拠によって私を説得するのでなければ、私は自説を取り消すことはできません。統治体はしばしば誤った預言を行いながらその過ちを認めず、かつ自ら矛盾したことは明白なので、そのいずれにも私は信をおきません。」
(注)当然ながらこれは、エホバの証人あるいはものみの塔が現代におけるルーテル教会などのルター派を一部でも認めているということではない。ものみの塔は自分たち以外のありとあらゆる宗教を大いなるバビロンの一部と呼び、偽りの宗教であるとして非難している。