キリスト教と政治との関係(2)~歴史面から~

ヨーロッパ文明から読み解くエホバの証人

キリスト教と政治との関係(2)~歴史面から~

ヨーロッパを侵食するキリスト教

2世紀以降から「正統」キリスト教が確立するまでの話は、
直接的にはほとんどエホバの証人と関係ないのだが、

キリスト教の宗教としての基本スタンスはそのままエホバの証人にも受け継がれているため、
その基本スタンスが出来上がった過程をおさらいしてみることで、
現在のエホバの証人の政治的な態度の考察に役立つと思われる。

1世紀から4世紀末までのキリスト教について詳しいことは分かっていないのであるが、
キリスト教が「ディアスポラ」と呼ばれる、
地中海沿岸に移住したユダヤ人コミュニティを通じてローマ帝国内に広まっていくと、
その政府当局により迫害を受け、多くの殉教者を出したと言われている。

現在のキリスト教国家のイメージからすると意外なことに、
ローマ帝国はもともと多神教国家であった。

「ギリシャ神話」が日本神話にも共通する要素が多く、
日本で言う八百万の神々的な考え方に近いと考えれば納得だろう。

ヨーロッパはまさにキリスト教に侵食された地なのだ。

また、東方(東ローマ帝国)の影響によって発生した皇帝崇拝に、当然ながらキリスト教徒は従わなかった。

そのせいで迫害を受けるわけだが、
ディオクレティアヌスという皇帝による迫害を除いてはあまり大規模なものではなく、

そのディオクレティアヌスによる迫害も、
それほど大規模なものではなかったかもしれないとされている。

この迫害の事例からキリスト教の広まりを推測すると、
2世紀末にはローマ帝国全域に教会は組織を広げていたらしいことがわかる。

1世紀後半から2世紀までの教会内文献(使徒的教父文書)などからの推測によると、
この頃、エルサレムのユダヤ系教会と、

シリアやエジプトのギリシャ系教会とで異なる文化圏の教会が形成されており、
使徒たちがそれぞれの文化圏を認めていたようだ。

おそらくはそれぞれ、エルサレム教会とアンティオキア教会の延長線上に位置する文化なのだろう。

政治権力によるキリスト教の利用

このように初期のキリスト教はローマ帝国から弾圧され、政府とは敵対関係にあった

しかし、現在の日本においてもこれと類した状況が見られるが、
信者数が増してくると政治の側に利用価値が出てくる

そういうわけで4世紀に入るとキリスト教はついに国家と結びつくまでに拡大し、
西暦301年にはアルメニア王国、
350年にアクスム王国(現在のエチオピア)がキリスト教を国教として定めるに至る。

また、このころローマ帝国は衰退期を迎え、
その社会秩序の維持にキリスト教が協力するのと引き換えに、
ローマ帝国がキリスト教を特権的地位に置き、優遇することになる

3世紀から4世紀にかけては「神学」が発達し、
その結果キリスト教どうしの間でも教理論争が激しくなり、武力衝突が起きるまでになっていた。

それを解決するためにコンスタンティヌス帝によって開かれたのが西暦325年のニカイア公会議であり、
ここからローマ皇帝はキリスト教に介入し、
彼らをまとめることでその勢力を政治的に利用しようという流れが始まる。

既に書いたとおり
ローマ帝国では西暦311年に寛容令を出され、
西暦313年にミラノ勅令によって、他の全ての宗教と共に公認される。

その後も抑圧はあったが、
西暦380年にキリスト教はついにローマ帝国の国教と宣言され、
さらに西暦392年には帝国内の異教信仰が禁止された。

こうしてローマ帝国のキリスト教化は進み、
キリスト教会と強力なタッグを組むこととなるのだが、
その直後西暦395年にローマ帝国は東西に分裂する(注)

さらに西暦480年までに西ローマ帝国はゲルマン民族に倒されて滅亡する。
この西ローマ帝国の滅亡をもって、中世の始まりとされる。

政治的な後ろ盾を失ったキリスト教会は、
ゲルマンの統治者たちをキリスト教徒に改宗させることに成功し、
彼らを新たな庇護者として協力関係を築いた

そのような歴史的背景から、キリスト教徒は、
その時々の権力者に政治を任せるスタイルが出来上がったと言える。

統治者自身がキリスト教徒であることがもちろん望ましいものの、それは絶対条件ではない。
キリスト教の信仰が守られる限り政治に協力するというのが基本姿勢である。

この結果として世俗の権力は国王や皇帝が担い、
宗教的権威を教会が担うという体制ができた。

これを「二王国論」といい、
政治的権威と宗教的権威が分立する政教分離がヨーロッパにおけるキリスト教の原則となっていったわけである。

「大いなるバビロン」の恩恵の上に成り立つエホバの証人

このように、キリスト教はそのおかれた環境からすれば非常に上手く立ちまわってその地位を確立している。

そもそもこういった先人たちの努力あってキリスト教は世界三大宗教とまで言われるほどに発展し、
その土台があってこそエホバの証人も信者を拡大できたということは無視できない事実であろう。

また、エホバの証人は一切の政治的活動にかかわらないことを教義とし、また美徳としているが、
「正統」キリスト教が政治と上手く付き合う道を選ばなければ今のようなキリスト教の土台は築かれなかったはずである。

いったい「神の祝福」があるならば、どこに注がれているのだろうか。

カトリックやプロテスタントを用いて地ならし(キリスト教を受け入れる土壌整備)をし、
それを土台として発生したものみの塔組織にのみ神の祝福が注がれ、
エホバの証人しか救わないとすればこれは非常に矛盾した話である。

(注) もっとも、当時は「分裂した」とは思われておらず、「領土が広いので東西に分割統治している」という認識だったらしい。それまでのローマ皇帝の息子2人が同時に皇帝となって東西それぞれのローマ皇帝となり、西側が滅亡したあとも東ローマ帝国は最後まで自らを「ローマ帝国」と自称し続けた。

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