使徒たちの死から4世紀末まで

ヨーロッパ文明から読み解くエホバの証人

キリストの使徒たちの死から4世紀末まで

「原始キリスト信仰の復活」という無意味な主張

もう一つエホバの証人について指摘しておかねばならないのは、
「エホバの証人は1世紀当時の正しい信仰が復活した組織である」
とする主張の無意味さである。

というのは、現在ほとんどのキリスト教を称する宗教は原始キリスト教と同じ信仰であることを強調しているのだ。

その実際のところはさておき、
原始キリスト教と同じ信仰であることを主張することで、
自らの正統性を担保しようとしている点においてエホバの証人はなんら目新しい主張をしているわけではない。

また、この主張はエホバの証人にとっては矛盾も起こしてしまう。

前記事のとおり「1世紀のクリスチャン会衆」は一致しておらず、
全ての現代キリスト教は後になって正統であると定められたパウロ(とヨハネ)の教えの延長線上に位置していると言って良い。

つまり、数多くの書簡が存在した中で徐々に四福音書とパウロ書簡が有力なものとされていき、
西暦397年の第3回カルタゴ教会会議に至って初めて現在と同じ新約聖書のリストが完成するに至る。

エホバの証人的には4世紀のキリスト教などとっくに背教していたはずだ。

しかしこのカルタゴ会議で定められた新約聖書正典をそのまま「神の霊感を受けて選ばれた正典」として採用しているし、
外典の類に関しては全くなかったことにしている。

エホバの証人が1世紀の信仰の復活であると自称するなら、
1世紀当時と同じように並立する諸教会と対立することはあってもお互いキリスト者として認め合わなければならないし、

それができないのであれば自分たちが
「カトリック→プロテスタントから派生したユダヤ主義的要素を色濃く持つただの新宗教」
であることを認めなければならない

「キリスト教」誕生と欧州への伝播

さて、歴史に話を戻すと、
西暦60年代に指導的立場であったヤコブ、パウロ、ペテロが相次いで殉教を遂げる。

さらに第一次ユダヤ戦争(西暦66-70)終結後にエルサレム神殿が崩壊し、
これをきっかけとしてついに「キリスト教」が成立を見る。

ユダヤ教のパリサイ派とキリスト派が旧約聖書正典は何かを決定する過程において決定的な相違が生じ、
それは即ち信条の違いを浮き彫りにするものであった。

キリスト教ではこの時から七十人訳聖書(セプトゥアギンタ)を正典としており、
これは外典や偽典も含むものではあるが現在でもキリスト教の旧約聖書はこれが主要なベースとなっている。

新世界訳聖書においても「または、ギリシャ語セプトゥアギンタによれば」などといった形でその名が出てくるため、記憶にある方も多いだろう。

エルサレム神殿崩壊以降、ペテロが率いていたエルサレム教会の権威は失墜する。

代わって、おそらくは既にギリシャ語圏へ勢力を拡大していたアンティオキア教会系統のユダヤ人や異邦人によって宣教が継続され、
前記事で述べたとおりヨーロッパ方面へ宣教の足が伸びていった。

そこから4世紀ごろになって古代教会組織が成立するまでにどのような過程があったのかについては、よくわかっていない。

わかっているのは西暦301年にローマ帝国支配下のアルメニア王国が初めてキリスト教を国教としたこと、
そしてローマ帝国でもテオドシウス帝により西暦380年にキリスト教を国教と宣言し、
なおかつ西暦392年には異教崇拝を公式に禁止したことである。

しかしこの時期に相当な勢いをもってキリスト教がヨーロッパに広まっていったことは明らかだ。
その象徴的な事象が、クリスマスの発生である。

ものみの塔も説明しているとおり、キリストの誕生日は真冬ではありえないことは学者も認めている。

エホバの証人にとっては誕生は秋ごろであるとする説が有力だが、
一般的には春ごろであるとする説が有力だ。

これもはっきりしたことは何もわからないが、
3世紀の初め頃には、アレクサンドリアで活躍した神学者クレメンスは誕生日を5月20日と推測していた。

古代ローマでは太陽神ミトラスを崇拝するミトラ教という宗教があったが、
これを取り込んで冬至(太陽が生まれる日)をキリストの誕生日とし、
土着信仰を飲み込む形でキリスト教が広まった。

遅くとも西暦345年には12月25日の生誕祭が行われていたことがわかっている。
また、「サンタクロース」として知られる聖ニコラウスはちょうどこの頃の人物である。

ともあれ、4世紀末にローマ帝国の国教となったことでキリスト教の地位は揺るぎないものとなり始める

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