「エホバの証人」問題の定義

社会問題としてのエホバの証人

「エホバの証人」問題の定義

ブログの世界におけるエホバの証人

ブログ主にも様々な立場の方がいるが、
自身が元エホバの証人として関わっていた1世、
その子どもとして関わっていた2世の他に、
なんらかの理由でエホバの証人に興味を持った一般の方も多数いる。

そのような方々はネット上に溢れるエホバの証人の実態に関する情報にきっと驚かれたことだろうし、
その情報の全てが正確なものではないとしても、
エホバの証人が社会的に問題のある団体だということを否定する方はまずいないのではないかと思う。

ある人々の組織への糾弾の仕方に狂気じみたものを感じたとしても、
人間をそんな風にしてしまうという点でやはりまともな宗教ではないと感じられるかもしれないし、

仮にそれがでたらめだったとしても、
だからと言ってエホバの証人を社会的に良い影響を及ぼすものとする理由には到底なり得ない。

2014年9月現在、
数に関して言えばアメブロにおけるエホバの証人関連ブログは大いに増殖しているが、
その盛り上がりに関して言えば、

ここ1年ほどを振り返ると2013年下半期から2014年上半期にかけて一種のフィーバー状態を迎え、
それが一段落して少し落ち着いた状態である、と思う。

反面、いいかげん組織を糾弾し尽くしてネタ切れした感や、
向かうべき方向性を見失って迷走している感が若干漂っているのも事実だろう。

このような流れの中で、
同じ元エホバの証人でも様々な立場や状況の人がいて、
めいめいが強く感情を吐き出している状態のため、

ここがおかしいあれが間違っていると言った個別的な情報についてはこれ以上ないくらい充実したものの、

全体としてエホバの証人の何が問題なのか、
その原因はどこにあるのか、
この先どうしていけば良いのかといった事柄については

全くと言って良いほど統一されたものが見られないように感じられる。

特に「この先」のことに関しては本当に人それぞれで、

個人として負の感情を吐き出し切ればそれで満足な者、
信仰面から組織の間違いを指摘する作業を続ける者、
エホバの証人時代の(主に負の)思い出を綴る者、

あるいは組織だけでなく他の元エホバの証人をも攻撃することに腐心する者、
さらには組織への復讐に燃える者など、

ブログのコンセプトを分類していけば実に多岐にわたる。

感情を吐き出し切れば満足な者は悪く言えば自分のこと以外は考えていないので、
満足すればブログをやめて退場するのが普通であり、
それが幸せだと思うが、

自分はエホバの証人をやめても(エホバの証人ではなくても)のっぴきならない理由で無視できない立場にある人にとっては、
この厄介な宗教団体との「付き合い方」を考えねばならない状況にあるわけだ。

いやおそらく、自分の経験談をつらつらと書いているだけで自己満足だし…
などと思っているブログ主であっても(そんなことはない、読んでもらえているなら必ず誰かの役に立っている)、

できればエホバの証人によって引き起こされる問題を少しでもなくしたい、
言うなれば一矢報いてやりたいと思っている方は多いだろうと思うのである。

でも具体的に何をすればいいのかわからない、
思いつかないというのが実情だろう。

エホバの証人に対するビラ配りなどといった、
勇気ある行動に出る方もいらっしゃるが、

それが一般に対しても、現役のエホバの証人に対しても効果をあげる可能性の小ささに関しては、
何よりもエホバの証人だった本人が一番よくわかっているだろう。

ただ可能性は小さくても、やれば必ず成果のある活動のはずであり、
「迫害によって信者のマインドコントロールをより強固なものにする」可能性がある一方で、
何人かでもマインドコントロールを解くきっかけを与えることができれば素晴らしい、とは思う。

「エホバの証人」問題の定義とその難しさ

ともあれ、解決せねばならない「問題」をおおまかにまとめると、

この「ものみの塔聖書冊子協会」という、
あるいは「エホバの証人の○○会衆」という宗教団体があることによって、

日本に暮らす一個人の人権や自由が不当に侵害されたり、
この宗教団体に関わっていなければ味わうはずのない苦しみを味わわされたりといった状況が生じている場合、
と言うことができるだろう。

ただ難しいのは、
別にエホバの証人でなくても学校や会社などの一般的な社会コミュニティにおいても味わい得る苦しみまで含む必要があるのか否か
ということである。

「エホバの証人は高潔な道徳基準を謳っているわりに…」
という注釈つきで語られるから面白いネタにはなっていても、

単にあるコミュニティ内で起きた人間関係におけるトラブル、
といった視点で見てみると意外にベタな話であることは枚挙に暇がない。

エホバの証人がいかに大したことのない集団であるかの証明にはなっても、
それが即ち社会問題である、とはならない。

集団イジメだとかパワハラ、セクハラといった話であれば、
例えば会社でも同じことは起きるからだ。

会社や学校との比較で言えば、
多くの元エホバの証人が経験している「排斥」についても同様の類比が可能である。

「戒め」は「懲戒」や「停学」、
「排斥」は「懲戒解雇」や「強制退学」、
「断絶」は「自主退職」や「自主退学」
となるだろう。

あるコミュニティで決められたルールに違反すれば懲罰を与えられるのはどの組織でも当たり前の話であり、
少なくとも社会的にはこの制度自体にはなんら問題はないとみなされる。

よって社会的に問題となるのは排斥や断絶後に行われる「忌避」と呼ばれる人権侵害についてであり、
もしくはそういった処分の妥当性を争う部分となる。

処分の妥当性について争う場合、

降格処分(エホバの証人の「特権削除」)については組織の裁量が大きく認められる部分となるので、
それが権利濫用とみられるかどうかが争点となるが、

宗教団体内における肩書き(特権)は会社のように労働法などで保護されているわけではないことから、
裁判に訴えるとしても通常であればかなり苦しい戦いを強いられることになるだろう。

加えて、現在の日本では宗教法人が税制をはじめとして不当とも思えるほど優遇されているばかりか、
民事不介入の原則を盾に宗教団体に高い自治性を認め、
公的機関が介入することがほとんどない、
もしくはしたがらない状況にあることがさらに問題を難しくしている。

自分の被った害を世間に訴えたところで、
その多くが「自己責任」で片付けられてしまうような内容であること、請け合いである。

「エホバの証人」問題は、立ち向かうのが非常に難しい問題ではあるが、
関連ブログの多さとその内容が端的に表しているように、
この宗教団体の存在が多くの人に苦しみを与えているのは事実である。

100人や200人ではない。
信者であろうと元信者であろうとあるいは非信者であろうと、
苦しんでいる人がこれだけ多いのに社会の問題として目を向けないわけにはいかないではないか、と思う。

問題は、どうやって社会の目をそこへ向けるかだ。

困ったことに先述の公的機関だけでなく、
社会全体も宗教とはあまり関わり合いたくないという空気が強く、
オウム真理教のように大きな事件を起こすなどしない限り、
なかなか社会の耳目を集めるのは難しい。

では、具体的にどのような行動を起こせば良いのだろうか。

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