旧約聖書は南ユダ王国側から書かれている
ヤハウェ(エホバ)にまつわる客観的事実については前記事で述べたとおりのことがわかっているが、
翻って旧約聖書に目を向けてみても、
決して南ユダ王国がヤハウェ信仰をしっかり守っていました、
というわけではないのは、エホバの証人経験者であればご存知だろう。
この頃のことを記録しているのは列王記と歴代誌である。
そもそも統一イスラエル王国からバビロン捕囚までの歴史はサムエル記・列王記としてまとめられているが、
これらは元々一つの書だったと考えられており、
正教会においてはサムエル第一・第二・列王第一・第二をそれぞれ列王記の第一~第四としている。
列王記においては南北それぞれの王について記録されているが、
そもそも列王記を書いたとされる預言者エレミヤは南ユダ王国の人間である。
しかも活動していた年代はバビロン捕囚の時期であり、
北イスラエル王国はとうに存在しない。
当然、内容も全体的に南寄りに偏っている。
それにも関わらず、記述では北イスラエル王国が一方的に堕落していたことにはなっておらず、
南ユダ王国も似たような感じだったとして描かれている。
そうであれば、南ユダ王国は実際には北イスラエル王国よりも堕落した状況であった可能性はかなり高いと言えるのではないだろうか。
レビ人の追放は宗教的浄化策か
それを伺わせる旧約聖書中の主要な記述として、「レビ人の追放」が挙げられる。
北イスラエル王国の初代の王であるヤラベアムは、
祭司職を担っていたレビ族を追放し、多くが南ユダ王国へと逃れた。
結果としてレビ族は南ユダ王国を構成する主要3部族の一つとなったのだが、
旧約聖書ではこれを律法に背いた行為として断罪している。
しかし、現代においても見られるように、
宗教の堕落というものは末端信者が堕落している場合というのは非常に少ないものだ。
宗教・信仰の堕落はまず支配層・指導者・権力者の堕落といった形で表れる。
ものみの塔も例外ではないことは、あなたもよくご存知のとおりである。
ということは、祭司職であったレビ人自身が堕落していたと考えるほうが道理にかなっている。
ヤラベアムはむしろ腐敗した祭司たちを国から追い出し、
正しい形のエローヒーム信仰を取り戻した良い王だった可能性もあるのだ。
そのようなレビ人を受け入れた南ユダ王国は、果たして正しいヤハウェ信仰を維持できたのだろうか。
北イスラエル王国国民は”サマリア人”に
また、歴代誌に関しては、サムエル記・列王記と内容が重複するが、
独自の資料も用いてイスラエルの歴史を再構成した書となっている。
しかしこちらは北イスラエル王国の歴史を完全に無視していることから、
より偏った視点で編まれた書であり、
史料的価値としてはサムエル記・列王記よりも劣るとされている。
北イスラエル王国は滅びたあと、
指導者階級は捕虜としてアッシリアに連行されたものの、
大半の民は現地に残るなどして周辺異民族との混血が進んでいった。
イスラエル人としてのアイデンティティは次第に失われていき、
南ユダ王国系のユダヤ人とは異なる民族「サマリア人」となって生き残り、
後にイエス・キリストの喩え話に登場するように、
異教徒の代表のような位置付けとして描かれることとなった。
そのような「サマリア人」の姿しか見ていないエレミヤやエズラによって書かれたとされる
列王記・歴代誌がどれほど信頼に値するか、
少なくとも北イスラエル王国の立場も鑑みて考えてみなければなるまい。
勝者(特に何かに勝ったとも言い難いが、後世まで残ったという意味で)による歴史を鵜呑みにする前に、
北イスラエル王国が「神に見捨てられた」わけではないと考えられる要素をもういくつか挙げてみたい。
(※)2019年9月の記事移設に際し、改題しました。