カナンを手に入れる布石としてのアブラハム
バベルの塔の後に出てくるアブラハムに関しては、
ようやく伝説と史実のはざまに位置する人物であるとされている。
このアブラハムから、いよいよイスラエルの歴史が開始となるのだが、
神とアブラハムとの関係において主要な部分は、「カナンの地を与える約束」というものだ。
自らの土地を持たないイスラエルにとって、
このエピソードは国土を持つ正当性の主張という点で非常に重要なものだ。
聖書の流れを追うと、
メソポタミアのウル(現在のイラク南部)において裕福な遊牧民の家に生まれたとされるアブラハム(アブラム)は、
父テラと甥ロト、妻サラ(サライ)と共にカナンの地(ヨルダン川西岸で、現在のパレスチナ)への移住を目指し、ウルから出発した。
しかし、父テラの死去までは途中のハランに住むこととなる。
そして父テラの死後にアブラハムは神からの啓示を受ける。
アブラハムの前に神が突然現れ、カナンの地を与えることを約束したのだ。
それに従ってサラとロト、またハランで加わった人々とともに約束の地カナンへ旅立った。
詳しくは省くが、途中エジプトで色々あった後についにカナン地方に入ることとなる。
既に十分な財産を手に入れていたアブラハムはロトと別れることとなり、
アブラハムがヨルダン川西岸のカナン地方、ロトがヨルダンの低地全体を選び、またロトは後になって、ヨルダン川東岸に移動した。
ひたすら一方的で強引、なおかつ残虐な神
さて、この流れを振り返ってみて注目したい点がある。
それは、この話の全てがアブラハムの意思とは一切関係なく、
神の一方的な指示によって物語が展開していることだ。
人の意思に関係なく、
全ては神の意思であるとして今住んでいる場所が自己のものだとする正当性を主張しなければならないのには、
それ相応の理由があるのではないだろうか、
と考えると、これも見事に人間の思惑が浮かび上がってくる。
つまり、ヨルダン川西岸のカナン地方にはカナン人やフィリスティア人(ペリシテ人)という先住民がいて、
そこに強引に入り込んだか、奪い取ったかした、ということだ。
また、ロトが選んだヨルダンの低地には、かの有名なソドムとゴモラが存在していた。
ほんの数人でも善人がいれば滅ぼさない、とアブラハムに約束したにも関わらず、
彼らは一方的に全員が悪人だと決めつけられ、結局悪への裁きとして滅ぼされてしまったことになっている。
土地を奪い取られた側にしてみれば、まさに青天の霹靂といったところだろう。
まとめると、アブラハムには頼んでもいないのにわざわざ土地を与えると言い、
ソドムとゴモラの人々は全員が悪人であるとして消し去ってしまったのだ。
思い出していただきたい。
この神は人間を造ったとされる神だったはずだ。
全ての人を平等に扱ってしかるべき神が、どうして旧約聖書ではとにかくユダヤ民族にだけ肩入れするのか。
悪を憎まれるから、ということであればイスラエルの民がよほど清い行いと心を持っていたのだろうか。
旧約聖書に書かれたユダヤ民族の歴史はそれを担保していると言えるだろうか。
このアブラハムの前に現れた神は、まともな神と言えるのだろうか。
すぐに忘れ去られてしまう不思議な神
さらに不思議なことがある。
この神はアダムとイブを造り、天地を創造したとされる神であるからして、
アダムらが罰を受けたあとも子々孫々まで語り継がれ、決して忘れられるような性質のものではないはずだ。
まして神が直接人間とコンタクトを取る時代だったのであればなおさらである。
ところが、バベルの塔の一件で散り散りになった人々は、
それぞれが思い思いの神を崇拝するようになってしまったことになるし、
なによりイスラエルが建国を果たすまでは誰もこの神のことを知らなかったことになるのだ。
アダムまで遡らずとも、ノアの子孫であれば間違いなくこの神のことを伝えるはずだ。
アブラハムはノアから見て10代あとの人物とされている。
わずか10代で、この神のことをすっかり忘れ去ってしまったのだろうか。
結局、イスラエル人が自分たちの神として奉じるまで、
この神は存在していなかったと考えるのが妥当な結論であろう。
旧約聖書から見る、エホバの証人のカルト性
神話によって自らの正当性を担保するというやり方については、日本神話と皇室を思い出していただきたい。
皇祖神であるアマテラスは、国生みの神イザナギの御子である。
そのアマテラスの子孫が地上へ降り、そこから地上において続く系譜が天皇に連なっている。
だから天皇はこの日本を造った神の直系の子孫であり、故に日本を支配する正当性が保証されていると解釈できる。
そんな神話、いまどき誰が実話として信じるだろうか。
そうであれば、エホバの証人が同レベルの聖書の話を実話として信じているのが非常に滑稽に見えてこないだろうか。
ともあれ、この「神の一方的な指示によって神に選ばれた唯一の民族が神のご意思を遂行する」という構図は、
まさにエホバの証人そのものだ。
合理的な根拠なく自分たちを神に選ばれた唯一の組織であるとする選民思想のもと、
どれほど不条理でも神の指示を行うことが信仰であるとする。
実際には神の指示と称して統治体による指示が出ているわけだが、
彼ら自身がものみの塔で書いたとおり、
それが奇妙に思える指示だったとしても従わなければならないと教育している。
旧約聖書の神は不条理にも何も知らない大量の人間を無惨にも虐殺した神である。
今は比較的平和を好む宗教団体であるエホバの証人も、指導者次第では何をやらかすかわからない。
そういった潜在的な危険性は組織の内外を問わず多くの人が感じ取っていることだろう。
だからエホバの証人は、カルトと認定されるのである。