アベルはユダヤ人の象徴
次に、カインとアベルの話である。
こちらも実はよく読んでみると、意味のわからない部分が多い話だ。
カインは農作物を、アベルは子羊を犠牲として神に捧げていた。
ところが神はアベルの捧げ物のほうにだけ好意を示した。
そもそもここからして意味がわからないのだが、
その後あろうことかカインはアベルを野原に誘い出し、殺してしまう。
何も殺す必要まであったのだろうか。
結局のところ、これも古代ユダヤ人の自己正当化の物語であると解釈すると、辻褄が合う。
当時のユダヤ民族は遊牧民であり、その生活を支える羊が最も大切な財産であったため、
犠牲として捧げるのに最も良いのは、羊だった。
そして敵であるエジプト人はナイル川の水を用い、農業をして生活していた。
つまり、自分たち遊牧民は善人で、
エジプト人のような農耕民は悪人であると印象づけたいがためのストーリーなのである。
カインが疎まれる矛盾
だいたい、カインは人間の二代目だ。
そんな時代にユダヤの民は遊牧民ではなかったし、当然ながらまだ「ユダヤ」ですらない。
羊が最も大事だという習慣のない時代に、どうして羊のほうを喜ぶことがあるのか。
JWでは「心の中を見た」という説明がされる。
幼少期からの元2世なら思い出深いであろう、「聖書物語」によれば、
以下のような記述となっている。
アベルの供え物がカインの供え物よりも良い,というだけではありません。アベルが良い人だからです。アベルはエホバと自分の兄弟を愛しています。でもカインは悪い人で,自分の兄弟を愛していません。
実際の聖書ではここまではっきり書いておらず、
そうであることをほのめかす記述であり、
特に下線部分についてはそんなことは一切書いていない。
とにかくカインは悪人でアベルは善人だ、
というのは特に明確な根拠が示されずに決まってしまっている。
カインは植物を捧げたが、アベルは生き物を殺している。
動物の命が奪われるほうを神は好むというのだろうか。
農耕民もアダムの子孫であるが、彼らは何を捧げれば良いのか。
聖書の記述から合理的な答えを見出すことは困難である。