エホバの証人元2世vs.元1世 -対立構造の根底-

社会問題としてのエホバの証人

エホバの証人元2世vs.元1世 -対立構造の根底-

元2世が抱く、1世への怒りの本質

前回論じた、1世親による2世の子育てに潜む問題点から、
元1世と元2世の対立という問題にフォーカスして詳しく論じてみたい。

前々回の「2世の作られ方」と、
前回の「1世の行動原理」に関する部分を踏まえたうえで読んでほしい。

1世の行動原理としては、表面的な行いは良いものであり、
本人も全く悪気なく正しい信仰者として生活しているつもりだが、
その実「良いことをしている自分」への自己満足を追い求めて生活しているという面が強い、と述べた。

元エホバの証人どうしであれば、
現役時代の1世が2世に対し表面的には気遣っていたり褒めたりしていても、
本質的には2世に対し無関心だったことを心の奥底では感じ取っている。

元1世の言う「現役時代には2世と仲良くしていた」のが事実だとしても、
それは主に1世の自己満足のために2世が利用されていたに過ぎなかったのだという面が、
自分の憎き1世親と重なって見えてしまうし、1世全体に対する恨みの記憶も呼び覚まされる。

1世に悪気はなくても、1世の前で2世は徹底的にゾンビの皮を被ってプログラミングどおりの応対をしなければならず、
1世はストレスを与える存在でしかなかったことを体感として覚えている。

無論、マインド・コントロール下にあればそれを苦しみとして認識することはなく、
「覚醒」したからこそ味わう苦しみであることに注意されたい。

だから、今さら2世は偉かっただの可哀想だのと、
元1世に好き勝手に論じられることに対して異様なまでの反発をするのではなかろうか。

もっと言えば、「エホバの証人の皮を被った自分でないと親に認めてもらえなかった哀しさ」というトラウマを、
ピンポイントで刺激されてしまうのである。

自分にとっての前提を押し付ける元1世

悪気はないにしても、元1世の元エホバの証人が根本的に元2世を”見て”はいないのだなと感じさせてしまう端的な例は、
話の中に「神」を持ち出すことだ。

元1世はエホバの証人からは離れても、キリスト教的信仰自体は維持することが多い。

対してブログの世界にいる元2世の大半は、エホバという神だけでなくキリスト教的信仰自体を捨てている。

そのことが明白であるにも関わらず、
「神の教えは云々…」などという話を持ち出すのは元1世自身の自己満足のために言っているに過ぎず、
本心から元2世の問題を考えているわけではないのだ、と受け取れてしまう。

つまり、それは元2世の立場に立って物事を理解できているなどとは到底言えず、
また自己中心的思考から脱却できていないが故にそれをすること自体が不可能だということを証明している、
と受け取れてしまう。

事実、1世の行動原理が「自己満足」にあるという前提に立てば、
エホバの証人をやめたところで自己満足の追求をやめることはないだろう。

元1世vs.元2世という構図に対し、理屈ではいくらでも間違っている理由を挙げることはできよう。
しかし、多分にこれは感情の問題である。

人は感情で決定し、理屈を後付けする生き物である。
理屈の反発よりも感情の反発は比較にならないほどのパワーがある。

これはおそらく、国家間、宗教間、文化間における争いのようなもので、どちらが良い悪いではないのだろう。
どちらにも正義があり、残念ながらそれが相容れないということだ。

こうなるともう、元1世が謝っても「今度は”謙虚に謝る自分”に酔っているのではないか」と判断されれば、
元2世側にはもう受け入れる余地はない。

かくして、元1世と元2世の断絶は決定的なものになる。

押し付けがましさが分かれ目か

同じ理由で、自己満足してるな、自分に酔ってるな、独り善がりだな、
などと感じられる元1世のブログにはそれだけで反発を招いてしまう素地がある。

根本的に自分にしか関心がないことを敏感に察知するから、もはや何を言っても響かない。

もちろん、利他的な振る舞いをしているように見せつつその実、
自己満足を行動原理とする人間は一般社会にもゴマンと存在する。

端的な例は、奇しくもエホバの証人が自称しているのと同じ「ボランティア」である。

1995年の阪神・淡路大震災以降、
日本では大規模な災害が起きるとボランティアに加わる人間が大量発生するようになったが、

本当に役立っているボランティアも多い一方で、
必ず善意の押し付けを行う迷惑なボランティアの存在がクローズアップされる事態となっている。

その迷惑ボランティアと同じ精神を持つ人間が恒常的に集まり、
活動している集団が「エホバの証人」だと考えると、
この宗教組織の持つ病的な性質の一端が見えてくるように思われるのだ。

対立構造の整理

ひとつはっきりさせておきたいのは、この問題を考えるうえで必ず出てくる
「元1世も元2世も関係ない、みんなものみの塔の被害者なんだ!」
という意見についてである。

その意見自体が概ね正しいのは確かだが、
元1世vs.元2世という問題とは全く違う対立構造を持っているのであり、
それらを一緒くたにしてしまうのは論理的に破綻している。

それぞれの立場でものの見え方が違うのは致し方ないが、
対比(一見似た性質を持つものどうしの相違点を比べる)や
類比(一見違う性質を持つものどうしの類似点を比べる)を行う以前に、
前提となる条件の分類がしっかりできていなくては全く筋の通らない話になってしまう。

おそらくこれは「1世の親vs.2世の子ども」という家庭内での対立構造であれば理解しやすいものが、
どうして「元1世全般vs.元2世全般」となってしまうのかの説明がつきづらいせいで混同されてしまうものと思われるが、

それにしても対立しているとされるものを一緒にまとめて別の共通の敵を持ってくるというのは、
たとえそれ自体は正しいとしても両者はやはり別問題であり、ちぐはぐ感が否めない。

それはキリスト教世界とイスラム教世界のどちらが正義かを議論しているところへ突然エホバの証人が乗り込んできて、
「まあ両方ともハルマゲドンで滅ぼされるけどね!」なんて言い放つのと同じくらい、ズレている。

あるいは自民党と民主党が争っているところへ、
「くだらない言い争いをしてないで拉致問題をどうにかしろ!」と言う。

その気持ちはわかるが、内政における政争の質に関する問題と外交問題は、
やはり別々に議論すべき問題である。

もしくは阪神と中日が戦っているところへ、
「両チームとも絶対打倒巨人!」という横断幕を掲げてしまうようなものかもしれない。

…だんだんズレている論自体がズレてきた気がするため、閑話休題。

ポイントは「別問題」である

つまり
「元1世全般vs.元2世全般」
という対立構造と、
「ものみの塔vs.元エホバの証人信者」
という対立構造は全く別の論題として語られるべき事柄ということだ。

ほかにも細かな差異を取り上げていけば、
「ものみの塔vs.エホバの証人信者」の「ものみの塔」とはどこまでの範囲を含むのかが人と場合によって異なっていることが多い。

「ものみの塔」とは…

・統治体のみ
・世界本部と日本支部(ベテラ―まで含む)
・巡回監督までの特権階級(寄付で生活する階級)
・長老や開拓者までの特権階級(身近な影響力を持つ人)

と、ざっくり考えてもこれだけ挙げられる。

統治体だけは別格としても、
他のパターンの場合は「ものみの塔」側に分類された人たちもエホバの証人の1人であることには変わりないのだから、
なかなか単純ではない。

また、ひとえに反JWの世界といえども、
集会に行きつつ離脱のタイミングを狙ういわゆる”覚醒現役”も多いことからこれらを含んだ対立構造を設定するため
「ものみの塔に従う人(洗脳)vs.従わない人(覚醒)」
という観点で語られることも多い。

さらに範囲を広げると、家族や恋人が入信していることで苦しんでいる非信者という存在もこの世界では無視できない。

この場合は
「ものみの塔・エホバの証人vs.それ以外の人」
という対立構造になる。

ものみの塔だけでなく、伝道を行う全てのエホバの証人が加害者ということになるが、
この場合の主要な被害は家族の分断という形で表れ、
それはものみの塔に限らず他の宗教団体でも起こり得ることから、

「宗教団体(主にカルト)vs.家族を奪われた被害者」
という図式で表すほうがより正確な表現と言えるかもしれない。

まとめると、

・子どもに対する人権侵害とその後遺症の問題
・宗教団体によるマインドコントロールの問題
・宗教活動により生じる家族分断という被害の問題

というように、それぞれ論じるべき観点を分けて考える必要があるのだ。

(※)2019年9月の記事移設に際し、改題しました。

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