元エホバの証人コミュニティの罠まとめ(3) 平衡感覚

社会問題としてのエホバの証人

元エホバの証人コミュニティの罠まとめ(3) 平衡感覚

「偏っている」とはどういうことか

最後に「偏り」という言葉についても触れておこう。

元エホバの証人コミュニティといえば、
「偏っている」として批判を浴びやすいのはご承知のとおりと思われるが、
そもそも「偏っている」とはどういうことだろうか。

それは、物事の一面しか見えていない、あるいは見ようとしていないこと、と定義づけられると考えている。

エホバの証人に関して言えば、神や悪魔は実在し、
地上では唯一の組織を用いてその組織に加わっている者だけが救われる、

組織の指導者の言うことには従うのが正しい、
それ以外の全てのものは悪魔によるものであり、
間違っているなどという一面的な見方に支配されているということ。

これが「偏り」だ。

こういった偏見がひどくなると、
ものみの塔組織が間違っているかもしれないとか、
教義には欠陥があるかもしれないなどといった前提を考えることすらできなくなる。

対して反エホバの証人側で言えば、
ものみの塔組織が間違っているということは絶対的真理で、
教義は欠陥だらけ、家庭を崩壊させる最低最悪の宗教だとエホバの証人を決めつけて話をする。

こちらもまた偏っている。

特に元エホバの証人コミュニティは反ものみの塔という点で初めから偏った性質を持っているということは
元エホバの証人コミュニティの罠(2) 被害者編」にて詳しく述べた。

このようにどちらも、物事の一面しか見えていない、
あるいは見ようとしていない点で偏っており、
その位置はまさに両極端で対立するものであると言える。

「バランスが取れている」とはどういうことか

では、どちらにも偏っていない見方、
いわゆる「バランスの取れた見方」というものはどういうものだろうか。

究極的に中立であるということを考えるならば、
エホバの証人とはどういうことを教えており、どういう活動をしており、
その教義や活動の良い点と悪い点を評価する、誰の味方もしないということになるだろう。

しかし、それは評価・評論するものではあっても、何も生み出さないのが特徴である。

そもそも、人は誰しも様々な点において「偏った」見方を持って生きているものだ。

偏っていない人間など皆無であり、敢えて断言するが
「私は偏ってなどいない、バランスの取れた見方を持っているのだ」
と声高に主張する人であればあるほど、間違いなく誰よりも偏っている。

「偏り」には、間違った偏りと正しい偏りがあると思う。

間違った偏りとは、前述のとおり物事の一面しか見えていない、あるいは見ようとしていないものだ。

正しい偏りとは、物事のメリットとデメリットの両面をしっかり把握したうえで、
自分がどちらの立場を取るかを定めた「偏り」だ。

たとえば死刑制度の是非。

日本では昔から極刑は死刑なのが当たり前だったが、
世界的なトレンドとしては死刑制度は廃止される方向が主流となっている。

これはどちらが正解かを決めるのは非常に困難な問題だが、
何も考えず日本で生まれ育っているからと
「何を言ってるんだ人を殺したら死刑なのは当たり前だ」と決めつけるのと、

死刑制度の問題点と死刑廃止のメリット、デメリットを十分に比較考慮したうえで、
それでも「死刑制度を維持するべき」と結論づけるのは、
結論は同じでも「偏り」という観点から言えばだいぶ違う。

つまり、元エホバの証人コミュニティにおいても、
「自分はエホバの証人によって大ダメージを受けたからとにかくものみの塔は間違いなんだ」
と他人を納得させられるだけの根拠なく叫び続けている人と、

エホバの証人の世界と一般社会それぞれのメリット、デメリットをよく調べ、
知ったうえで反エホバの証人側に立場を定め、ものみの塔を糾弾するのとでは、
やっていることには同じ偏りがあっても、その質にはだいぶ違いがある

もっとも、わかっていて「偏った」からと言って即ち免責になるわけではないことには注意が必要だ。

いずれにせよ自分の取った言動・行動には責任が伴うことに変わりはない。

反エホバの証人的な言動や活動、主張している内容に対して的確な批判が加えられたとき、
過剰な反応をして逆上するのは「根拠なき偏り」に陥っている人だ。

エホバの証人に関して単純に「とにかく是」から「とにかく非」に転じただけだから、
明確な根拠を述べることができず、客観的に見ることができていないから、
自分の言動にどのような批判を加えられる可能性があるかを予測することができていない。

結局のところそのような人は、エホバの証人問題を論じることが主目的ではなく、
自分を認めてもらうことが目的となってしまっており、
批判を加えられることが自分の立場を否定されることのように感じてしまうからこそ、

批判に対して「反論」するのではなく、
相手の「人格否定」に走らなければ対抗できなくなってしまうのである。

元エホバの証人は、エホバの証人の世界を身をもって存分に経験させられてきた。

そこから出て、一般社会というものを経験して両方を知れば、
エホバの証人を是とする論も非とする論もどちらも理解することができる。

そうなって初めて「エホバの証人を否定する」側に立場を定めるという「偏り」を選択し、
自らが的確な批判を加えることができるようになるのではないだろうか。

「覚醒」の本質

「覚醒」という言葉についても触れておくならば、
エホバの証人は何かおかしいのでは、間違っているのではないかと思うこと、
あるいはネット上の情報を見るなどしてやっぱりエホバの証人はおかしいという確信を得ることを指して言うことがほとんどだろう。

しかし、その「間違っているという確信」が正しいのかどうかを確かめるには
さらなる調査、研究が必要になるはずだ。

なにしろ、たいそうな時間をかけてエホバの証人の教えを学んできたはずで、
それを否定しようとしているのだから。

エホバの証人の教えはほぼわかっている。
その見方と、それを否定する見方の双方を学び、全体像を把握したうえで、自分の取るべき立場を決める。

そこまできて初めて、本当の意味での「覚醒」と言えるだろう。

何度も繰り返すが、一方の極端からもう一方の極端へ移っただけでは、
あちらの布団で眠っていたのがこんどはこちらのベッドで寝はじめたようなもので、さほど変わりはない。

物事の全体像を把握すること。
これが「偏り」から脱し、確かな「覚醒」を手にするために必要なポイントとなるだろう。

そして今まで論じてきた様々な「罠」は、全て究極的には「全体像が見えていないところ」に原因がある。

物事の全体像が見えれば、自分の視点を一段上に上げることができる。
それこそ、エホバの証人問題からの精神的な脱却に向けて手に入れるべき、最も重要な要素ではないだろうか。

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