「エホバの証人」問題との戦い方(1)

社会問題としてのエホバの証人

「エホバの証人」問題との戦い方(1)

「エホバの証人」問題との戦い方

エホバの証人を社会問題として捉えた場合、どのように問題を分析すべきか。
まず「苦しめられた個人」との関係において考えてみたい。

わかりやすい例として、水俣病のような公害問題、
あるいは東京電力の原発事故を思い浮かべてほしい。

こういった問題を解決するために少なくとも必要なのは、

・原因の究明
・責任の所在確認と追及
・被害者への補償
・再発の防止
・同種の問題を防止するための社会への啓蒙

などであろう。

責任の取らせ方は大きく分けて2種類ある。

(1)法的責任の追及と、
(2)社会的責任の追及である。

戦い方(1) ―法的責任の追及―

法的責任にはさらに刑事責任(刑事罰を受ける)と民事責任(民事裁判で負ける)がある。

このうち前者について言えば、
組織やその指導者が裁判にかけられて刑事罰を言い渡されるという事態になるためには検察による起訴が必要となるため、
一般民衆にできることは告発することくらいである。

また、犯罪であると認められるにはかなりハードルが高いため、現実的ではない。

日本においては「罪刑法定主義」という近代刑法の大原則が採用されている。

これは、ある行為を犯罪として処罰するためには、
予め法律によって犯罪とされる行為の内容と、
それに対して科される刑罰を明確に規定しておかなければならないというルールである。

現代においてはほとんどどのような行為であっても、
なんらかの罪に該当すると考えることができるまでに法整備が進んでいるが、

それでも例えばインターネットという新たなツール・概念が登場した頃は
ネット上における犯罪的行為を直接取り締まるための法律がなかったせいで数多くの犯罪的行為が行われたが、
罪刑法定主義の原則からこれを立件することが不可能だった案件も数多い。

要は、エホバの証人問題が現行刑法のどの条文に違反しているかを考える必要があるのだが、
法律に照らして考えてみるとやはり刑事罰を問えるような案件は、実はほとんど見当たらない。

例えば成員間でのトラブルによる暴行、窃盗、強姦など、
何か会衆内で事件が起きればその限りではないが、
こういった案件に関してはあくまでも個人間の問題であり宗教団体にまでその責が及ぶものではない、と考えられるのが普通である。

ものみの塔も常にその論理で乗り切ってきた。

宗教団体が何らかの理由(その多くは金銭絡み)で刑事責任を問われるというのはいくつか例があるのだが、
個人が受けた被害に関して宗教団体に刑事責任を問うことを考えた場合、
ものみの塔に関して言えばそのような刑事責任を問われる可能性は極めて低いと結論せざるを得ない。(注)

よって、法的責任を追及するのであれば必然的に民事裁判を起こすという方法になる。

しかしこちらも、独特なルールと文化を共有するコミュニティ内で起きた出来事であるからして、
それを法律に当てはめて戦うのは、原告・被告にとっても裁く側にとってもなかなか難しい事態であると考えられる。

教団の有する特徴的な概念を国家の法律によって裁くことは基本的には不可能だ。

ただし、信教の自由の保障が絶対的無制限のものではないことは判例で明示されているが、
それにしても宗教的行為・行事によって死者を出した場合などに限定されており、
行動や思想を制限されたからと言って刑事責任を問えるようなものではない。

もっとも、宗教的権威のヒエラルキーが存在する状況下で行われた不当な強制の撤回(地位回復)、
もしくはその結果として被った精神的苦痛への補償、
あるいはコミュニティ内において毀損された名誉の回復といった面に限定して争うとなれば、勝算がなくはないだろう。

しかし、民事裁判によって仮に勝訴した場合でも、
個人(法人)間の争いであることからほとんど世間の注目を集められないばかりか(なぜなら世間の大半の人には無関係だから)、
宗教団体側のダメージもほとんどないだろう。

ものみの塔の場合は信者への情報統制も徹底しているからなおさらだ。

また、これを会社組織に例えるならば、
仮に自分の勤める会社の上司が元従業員からパワハラで訴えられ敗訴したとしても、
それをもって即「この会社はおかしいから辞めよう」とはならないだろうことは容易に想像がつく。

このように現状の日本では、法律ではカバーしきれない部分に宗教問題というものが位置しているため、
法的責任の追及は全く不可能ではないものの、
事実上かなり難しいと結論づけなければならない。

そのような視点で考えると、
海外においての話ではあるが、児童性的虐待裁判が起こされ、
実際に性的虐待を行った信者だけでなくそれを隠蔽したものみの塔の責任をも認める判決が出たというのはかなり画期的なことと言える。

ただし、これは一般的な元2世がものみの塔に責任を問えるか、といった話とは関係がなく、
訴訟を起こすためにはまず幼少期に組織内部の信者から性的虐待を受けていなくてはならないという極めて特殊な条件が必要になるし、
まさか好き好んでそのような行為をされたかった者がいるはずもない。

さらにそのような問題を把握していたにも関わらず隠蔽を図ったという「敵失」があってこその判決であり、
素直に公表・謝罪を行っていれば組織に累が及ぶことは回避できた可能性もある。

つまりこの敗訴は組織に一定のダメージを与えることは期待できるものの(実際に賠償金負担と資産凍結はダメージだろう)、
だからと言って一般的な元信者が受けた苦しみを癒したり、
ものみの塔によって人生を狂わされる信者が減ったりすることはあまり期待できない。

もっともこれによって組織を出ることに決めて人生を立てなおしたり、
あるいは入信を思いとどまったりする人が出ることは期待できる。

いずれにせよ、ものみの塔に法律的な責任を追及することがもし可能だとしても、
その問題は残念ながら大半の元信者とは関係のないところに存在すると結論付けるより他なさそうである。

(注) あくまでも個人 対 ものみの塔に関しての話。ものみの塔という宗教法人が何らかの犯罪を犯しているか否かとは別の問題である。

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