元2世の立場から見た”虐待”
前回までの記事(「(5)毒親編」・「(6)現役親編」)は
「親」というキーワードからも明らかなように、
主に元2世の視点から取り上げたものだった。
そこでも少し書いたが、
元エホバの証人コミュニティにおいて多数派である元2世たちによって1世親が「毒親」認定される状況にある中で、
元1世で親でもある人々に対して過剰な心痛を与える結果となっている、という面も取り上げておきたい。
エホバの証人になるような人は良い人が多く、
肉体的・精神的な加虐も多くの場合子どものためを思って行ったことであろうということはこれまでに何度か述べた。
しかしそうは言っても、敢えて元2世の立場から言えば、
されたことはされたことでやはり腹立たしく、動機云々の問題ではない。
故意と過失では恨みの度合いには差があるだろうが、失ったものの大きさには違いがない。
それにひと口に「体罰」と言っても、
人をいじめたとか物を盗んだとか、一般的に見ても罰を受けて当然のときに行われたものと、
集会でぐずって泣いたとか王国会館で騒いだとか予習しろと言われたのにやっていなかったとか、
本来なら不要だったはずの理由で行われたものとでは意味合いが異なってくる。
しかし子どもにその区別はつかない。
だから大人になったとき、それが「理不尽な体罰を受けて育った」という思い出になってしまい、
その中に正しい教育が含まれていたという側面は塗り消されてしまう。
百歩譲って体罰の是非は脇へ置いたとしても、
圧倒的強者からの恐怖による支配という構図があったことは事実である。
それだけでも子どもの心に大きな傷を残し、場合によっては人間性まで歪めてしまうには十分な理由となる。
たとえば鞭で打たれることへの精神的な恐怖から親に対してとっさに嘘をついてしまうようになったり、
親からの肉体的・精神的な加虐によるストレスがいじめやその他非行といった一般的な悪行を引き起こすことになったりもする。
絶対的真理であるはずのエホバの証人的教育が、なぜか負のスパイラルを生む。
エホバの証人として良くないどころか、一般的に見ても悪い子どもになってしまうことさえある。
そのことに親も子も苦しむ。
そのようなわけで、元エホバの証人コミュニティではこのような体験が「毒親」エピソードと結びついたり、
あるいは当時の周囲からの鞭指導(=ものみの塔の指導)という思い出と結びついたりといった形で語られ、
大きな共感を呼び起こす。
元1世の親の立場も考える
しかし、元エホバの証人コミュニティの罠という観点で言えば、
まさにそのことで自責の念を抱えている元1世の親でもある人に対して心理的な攻撃を加えることになる。
言い換えれば、それで苦しむ「仲間」も存在することを多少なりとも意識できると良いのではないかと感じることがしばしばある。
元エホバの証人コミュニティが数年前と比べて大きく変化したことの一つは、
この1世としてエホバの証人になったものの、後にエホバの証人を自らやめた人、
つまり「元1世」が目に見えて増加したことではないかと感じている。
敢えて嫌味なことを言ってしまえば、
エホバの証人をやめた今でも「自分は全く悪いことをしていない」と考えている元1世と、
本当に申し訳ないことをしてきた…と自責の念に苦しむ元1世とがわりと綺麗に分かれているところが面白いと思っている。
特に後者のような、まるで元犯罪者でもあるかのような心痛を抱え続けている方が何人もいることを全く考えずに
元2世が親世代の1世への糾弾を繰り返すならば、
「1世も2世もみんな被害者だ」というよく言われる理屈が途端に空虚に聞こえてくるし、
それ自体が狂信的な色を帯びてきてしまう。
まさに、元エホバの証人コミュニティどころでなく、様々な人が同居するのが「社会」というものだ。
それも世界的に見れば日本社会などかなり均質なほうで、
「様々な立場を考慮する」ことは比較的容易であるはずなのだ。
この狭いコミュニティにおいてさえ「様々な立場」を考慮できないままの人間は、
一般社会でうまくやっていくことが難しいだろう。
ただし、矛盾するようだがこれも鞭のエピソードや親を糾弾するような話を書くべきでないと言っているのではない。
繰り返し述べているとおり、それらを吐き出し、整理をつけることは重要なことだからだ。
あくまでも、ある程度気持ちが落ち着いたらこのことを頭の隅にでも置いて語るようにすることが、
将来的な元2世の成長につながるという観点から述べているに過ぎない。
また実際にはほとんどの元2世は、コミュニティ内に存在する元1世を念頭に置いて攻撃しているわけではない。
元1世の方々も、無用な心痛を抱いたり、親を糾弾するような記事に対して
自らが責められている当事者でもあるかのような過剰な反応をする必要はない。
元2世は別に、1世たちに雁首揃えて謝罪させたいと考えているわけでもなんでもない。
それどころかそのような反応を見せると、
元1世というのは相変わらず自意識過剰で、謝罪によって罪悪感を解消することで、
やはり自己満足を得ようとしているのではないか、
と妙な偏見を助長する結果となりかねない。
要はお互いに相手の立場を考えないとうまくいかない。
元2世のほうが明らかに、また常に多数派だからこのような書き方をしているが、
どちらも独り善がりになってしまっては、人間関係がうまくいかなくなるのは当然の道理というだけの話だ。