エホバの証人2世と1世 -行動原理の比較-

社会問題としてのエホバの証人

エホバの証人2世と1世 -行動原理の比較-

1世の行動原理

ではエホバの証人1世は2世と比較して気持ち悪くないのかというと、
当然ながらこちらも気持ち悪い
ただ、その本質の部分は2世とは全く違う

1世は自ら進んでエホバの証人になったわけだから、
それまでに培った自分というものを必然的に持っているはずである。

おそらくは信仰によって自分というものをもっと良くしたいという、
一種の自己実現を目的にものみの塔に登ってしまったであろうことは想像に難くない。

ということは、最終的には楽園入りが目的であるとしても、
そのために通常時において「良い自分であること」が目的と言える。

常に自分は良いことをしており、赦される条件を備えた人間であることを確認し、自己満足したい

これが1世の行動原理ではないだろうか。

真理を知っている自分、
神に仕えている自分、
神の(実際は組織の)命令どおりに家から家を訪問している自分、
新たに研究生をバプテスマに導いた自分、
自発奉仕に参加する自分…

そういった「良いことをしている自分」に無上の喜びを感じるようになる。

それが高じると、いよいよ相手の迷惑を省みない善行の押し付けを始めるようになる。

若い人を援助と称して奉仕に付き合わせる自分、
具合が悪くて休んだ仲間のところへ押しかけて寝ているところを起こして料理を渡したうえに玄関先で長々と集会の益を喋り散らかす自分、
不活発な仲間を集会へ連れて行くために車で迎えに乗り付ける自分…

なにしろ良いことをしているのだという自覚があるぶん、本当に手に負えない。

エホバの証人の中で自分に迷惑をかけてきた悪人だったとして語られることが多いのは、
圧倒的にこのようなタイプの1世ではないかと思う。

自己満足のための子育て

そんな人に子どもがいたら、あるいは子どもを持ったら、
目的はもちろん「子どもを模範的な2世に育て上げ、滅びから救った自分に酔うこと」以外にはありえなくなる。

こうして、子どものほうを一切向いていない「教育」がスタートする。

もちろん全ての1世の親がそうではないが、
1世の真面目な親ほどこの図式で子どもを打ち懲らすようになるのが典型パターンだろう。

そうして、自分の子どもが出版物に書かれているような「定型的な良い行動」を取れるようになると、
教育が成功したと思って満足する。

そして「何もあげられないけど、真理だけは教えてあげられた」などという迷言を吐く。

子どものほうではいちばんいらない押し付け以外の何物でもなかったりするのだが。

だからこそ元エホバの証人どうしであっても、
2世は1世に対し反発を、ひどい場合は敵愾心と言っても良いほどの感情を抱く。

「2世の怒りは自分の親にのみ向けられるべきであり、
他の1世は関係ないではないか」という意見もある。

本来的には確かにそうだ。

親子関係に限れば、2世の怒りが向かうべき対象は自らの親と、
教えの発信元であるものみの塔ということになる。

しかしおそらく2世の1世全般に対する怒りは、
「1世は何が何でも悪いのだ」という根拠のない決めつけでは済まされない根深さがある。

それは、現役時代も今も1世の目が本質的に2世を見ているわけではなく、
自分の満足しか考えていない身勝手さに対する怒り
ということなのではないか。

この点については次の記事で詳しく解説する。

行動原理が1世に似てくる2世

さて、前回書いたとおりゾンビ的にプログラミングされた2世も、
成長するとやはりいろいろな欲が出てきて、
いつまでも自我のない状態ではいられなくなってくる。

そこでものみの塔の取る作戦は、
すべての欲を制限してエネルギーをすべて「特権欲」に注ぎ込ませ
活動を忙しく行わせることで思考停止させるというものである。

さらに1世の背中を見て育ち、1世と共に働くようになった2世は、必然的に1世と行動原理が似通ってくる。

つまり、善行によって自己実現を果たし、自己満足を得ることが日々の目的と化する。

結果として、人を人とも思わない、パターン化された思考の人間が特権を手にし、
自己満足のために話をしたり、人を励ましたり、人を裁いたりするようになる。

2世長老の講演がどうも独り善がりだったり、
いつもお気に入りの姉妹ばかりを用いて実演を行わせ、
形だけ整えたプログラムを毎度こなしていたり、
牧羊と称して高圧的かつ一方的に話をして帰ったり、
自らの権力を誇示するかの如く排斥や特権削除といった処分を大した熟慮もせずに下したり。

これはとても怖ろしいことだ。

もちろん全てのエホバの証人がそうではないが、
ものみの塔の教義というのは信者をそういう人格へ向かわせる強力な構造を持っている。

仮に一つ一つの行動は正しいものだとしても、
根底にあるのは自己満足、つまり自分が良いことをしたのだという実感から来る安心感を得るための行為であり、

裏を返せば自分が滅びに定められないためにはどう行動すれば良いかとしか考えず、
目の前の導くべき羊のことを本質的に見ているわけではない、という構図になるわけだ。

しばしばエホバの証人の問題として取り上げられる人権侵害の問題は、
このような部分に根本があるのではないだろうか。

自意識過剰集団「エホバの証人」

さらに言えば、この結果出来上がったのが
エホバの証人という究極の自己満足・自意識過剰集団であると言える。

一人ひとりの「自分は正しいことをしている」という実感が、
集団の「自分たちは正しい」につながっている。

真理を知らない人は可哀想だね、という思い上がった考えにつながり、
なんら専門知識などない人間がものみの塔から得た薄っぺらい知識だけで輸血の危険性を医者相手に語ったり、

大学へ行ったこともない人間が「大学には誘惑が沢山あるので(注)高卒で開拓始めました!」とか
ドヤ顔で大会でのインタビューで言ってしまったりするわけだ。

このような自意識過剰で、とんでもない勘違いに染まりきった状態から「覚醒」を迎えてしまうと、
おそらくひどい場合は人格が崩壊するほどの衝撃を受けるに違いない。

特に2世はこの世界以外を知らない
ここから精神的に抜け出すのは容易ではない。

(注) 思い返せば高等教育を否定する記事には経験談も付きものであったが、いったいどこの大学へ行けば、周りじゅうの女の子がデートに誘ってきたり、女の子が電話番号を渡してきたり、女の子から「セックスフレンドになろう」という誘いを受けたりするのだろうか。村上春●樹の小説じゃあるまいし。もしそんなことがどこの大学へ行っても普通に起こる出来事なのだとものみの塔執筆者が思い描いているのだとすれば、大学というところこそが「地上のパラダイス」で間違いないはずだ。

(※)2019年9月の記事移設に際し、一部加筆修正および改題しました。

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