短かったイスラエルの最盛期
ようやく周辺の異民族を排除し、
裁き人(士師)の時代が終わるとイスラエルはサウルを王として統一王国を築く。
西暦前1020年(以下、年号はおよその推定)のことである。
次に王となったのが言わずと知れたダビデであり、
西暦前1004年にユダ族を治めてエルサレムを都とし、
西暦前994年に全イスラエルを治め、西暦前965年まで王であった。
その息子ソロモンは西暦前965年から922年まで王であり、
西暦前958年には神殿を起工した。
こうしてダビデとその息子ソロモンの時代に、
イスラエルは最盛期を迎えたのだが、
ソロモン王の死後、
イスラエルの12部族はサマリアを首都とする10部族の北イスラエル王国と、
エルサレムを首都とする2部族の南ユダ王国に分裂する。
このように、統一王国が続いたのはわずか100年ほどであり、
ダビデとソロモンによって栄華を極めたのは80年ほどの期間に過ぎなかった。
北イスラエル王国は西暦前722年にアッシリアにより滅ぼされ、
南ユダ王国も西暦前586年に新バビロニアに滅ぼされることとなるが、
これら12部族については歴史上においても大きなミステリーの一つとして有名である。
歴史的に見るイスラエル12部族
ものみの塔が教える知識に加えて、学問上分かっていることを整理しておきたい。
そもそも12部族とは言うものの、正しくは13部族ある。
部族の始まりはヤコブの息子たちということになっているが、その内訳は以下のとおりである。
レアの息子…(1)ルベン・(2)シメオン・(3)レビ・(4)ユダ・(5)イッサカル・(6)ゼブルン
ジルパの息子…(7)ガド・(8)アセル
ビルハの息子…(9)ダン・(10)ナフタリ
ラケルの息子…ヨセフ・(11)ベニヤミン
ラケルの孫(ヨセフの息子)…(12)マナセ・(13)エフライム
このうちレビ族は神に仕える祭司職であるため、
慣例として数に入れず12部族とするのが一般的だが、
マナセとエフライムをヨセフ族としてまとめ、
レビ族を入れて12部族とする数え方もある。
北王国と南王国は10部族と2部族に分かれたとされているが、
南の2部族はユダとベニヤミンに加えてレビも含まれる。
しかしこの10と2というのは厳密に分かれていたわけではなく、
分裂後も人の行き来はかなりあったことが分かっている。
また、南北両方に住んでいた部族が少なくとも6部族おり、
北には11部族、南には8部族が住んでいたことが聖書学者により認められている。
実際には分裂というほどはっきりしたものではなかったとすれば、
10と2というのは実際の数というより、
多いか少ないかを表す象徴的な数字(それぞれ十の位と一の位の数であることから)
に過ぎないのではないか、という説が現在では有力である。
エホバの証人などが採用している、
聖書に書かれていることは全て字義通りに正しいとする原理主義的な考え方が、
こんなところでも科学的に否定される結果となっているのが現実である。
また、この2つの王国と12部族について分かっていることを調べていくと、
やはりエホバの証人にとってはとても受け入れ難い事実が次々と浮かび上がってくるのである。
それが当時の北イスラエル王国における「エローヒーム信仰」と、
南ユダ王国における「エホバ」の立ち位置である。