ヨーロッパにおけるキリスト教発展の歴史(1)

ヨーロッパ文明から読み解くエホバの証人

ヨーロッパにおけるキリスト教発展の歴史(1)

ローマ・カトリックとギリシャ正教

ものみの塔(エホバの証人)の誕生を考える上では、
初代教会→カトリック→プロテスタントという系譜を辿る必要があるのだが、

ここからはローマ帝国においてキリスト教が確固たる地位を築いてから(前記事参照)以降、
プロテスタント誕生に至るまでの、
ヨーロッパにおけるカトリックを中心としたキリスト教諸教会について簡潔に記していきたい。

まず、現代において正統とされるキリスト教は大きく二つの系統に分類される。

西方教会(ローマ・カトリック/公教会)と、
東方教会(グリーク・オーソドックス/ギリシャ正教/正教会)である。

名前のとおり、それぞれ西ローマ帝国と東ローマ帝国において中心だった教会である。

これらはそれぞれが正統を自認しており、
「カトリック」は「普遍的」、「オーソドックス」は日本語としても使われているとおり、
「正統的」といった意味合いを持つ。

客観的にはただの分裂でしかないが、
それぞれの主観から見れば「自分たち以外の教派が勝手に離れていった」という解釈となり、
決して「分裂」したのではないとする。

ローマ・カトリックのトップは、
日本でも言わずと知れたローマ教皇(「法王」という呼び方はやめてくれ、とバチカンは主張している)であり、
その初代教皇とされる人物は十二使徒の一人、シモン・ペテロである。

一方、正教会におけるトップは、
コンスタンディヌーポリ総主教(英語では「コンスタンティノープル」)と呼ばれ、
ローマの教皇庁と同じく総主教庁というものがあり、
その所在地はトルコのイスタンブールである。

コンスタンティノープルはイスタンブールの旧名だということは恐らく歴史で習ったことと思う。
また、初代教皇とされる人物は十二使徒の一人で、ペテロの弟、アンデレ(アンドレアス)である。

ローマ帝国が分割されたときの東西の皇帝も実の兄弟だったことと、なにやら似通っている。

歴史的に見れば東西教会の分裂の年は、
お互いを破門した西暦1054年ということになるのだが、

西暦395年にローマ帝国が東西に分割された当時から数百年に及ぶ期間の中でお互いの間に教義解釈の違いが生じ、
それが大きくなっていった結果として分裂があるため、
実際にはかなり早い段階で別の存在だったということができる。

なお、東西教会の相互破門に関しては20世紀後半に入って和解がなされ、1965年に解消されている。

「異端」とされた東方諸教会

東西教会が正式に「分裂」する以前の数百年間に、幾度も公会議が開かれ、
その度に異端とされる教派が出た。

代表的なものは西暦431年エフェソス公会議において破門された
ネストリウス派(今でも中東やインドで、あるいはアッシリア東方教会などの形で生き残っている)、

西暦451年カルケドン公会議における決議を拒否して生まれた、
アルメニア使徒教会、エチオピア正教会、コプト正教会、シリア正教会などの
「非カルケドン派」と呼ばれる教派がある。

これらは現代では「東方諸教会」という括りで知られる。

欧州の土着信仰の取り込み

このように異端を排除する中で徐々に正統教義というものが形成されていったのだが、
その一方で布教を進めるために土着の信仰をキリスト教に取り込むといったことも積極的に行われた。

その土台となっているのは、使徒パウロの活動拠点であったアンティオキア教会の布教方針である。

エルサレム教会のペテロとは異なり、
パウロは異邦人への柔軟な文化適合を重視して布教を進めていた。

そのため、ローマ帝国内にもともと存在した異教の風習や祭礼をキリスト教的に再解釈して利用するということが行われた。

その最も有名な例はクリスマスであり、
これはミトラ教に由来する冬至の祭、つまりは太陽信仰であったものが、
キリストの誕生日として結び付けられて生まれたものだ。

また、ギリシャ神話に代表されるように、
もともとのヨーロッパでは日本と同様に多神教の地域が多かったのだが、

そういった場所へ布教する際にキリスト教は、
他宗教の神殿がある場所にそのまま教会を建てるという作戦を取った。

この結果として生まれたのが、現在でもヨーロッパ中に見られるマリア教会であり、
これはもともとは女神を祀る神殿だった。

たとえば現在でもフランス中にある「ノートルダム(意味:我らの貴婦人=マリア)教会」などが典型例としてあげられる。

さらにはエジプト神話に由来するイシス、オシリスといった異教の神の像を
そのままマリアとイエスの聖母子像へ転用するなどといったことまで行われた。

また、弾圧による殉教者を「聖人」として認定するようになり、
そのような聖人の彫刻や銅像が作られるに至った。

また、彼らの名はローマ教皇の名にも利用されることで知られ、
教皇はほとんど場合、死後しばらく経つと聖人として認定される。

一神教のはずのキリスト教でマリア信仰や聖人信仰が見られたり、
偶像崇拝禁止のはずなのにやたらと聖像や十字架が多用されたりしているのは、
このようなキリスト教の発展の歴史に理由があるのだろう。

宗教の発展のために必要だったという面も否定できないが、
こうして見てくると確かに中世までのキリスト教というのは、
聖書に照らして考えればどうしようもなく堕落した状態であったということが言えるだろう。

そういったキリスト教発展の歴史が、
皮肉にも聖書への忠実さを標榜するプロテスタントの誕生を生んだ一因であったことは、想像に難くない。

「聖書」考察(2) 注意点と問題点キリスト教の「聖書」考察(2) 注意点と問題点前のページ

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