エホバの証人が言う「ハルマゲドン」の不思議
キリスト教では「解釈」というものが大きな鍵となってきたため、
何度も分裂を繰り返した結果、世界中に数えきれないほどの分派が存在する。
それが現代になってからも解釈の違いによって新たな教派を生む原因となり、
その流れの中でエホバの証人も誕生した。
しかし、聖書に書いてあることをできるだけそのまま読み取ってみると、
エホバの証人はかなり妙な主張をしていることが簡単に浮き彫りになる。
それも、微細な部分などではない。
エホバの証人が必ずいの一番に持ち出す「ハルマゲドン」に関する記述である。
まず、前記事1・前記事2の続きであり結論でもあるが、
神に赦されるということは、最後の審判を通過するということだ。
エホバの証人風に言うと「ハルマゲドンを生き残る」となる。
…上のパラグラフを普通に読み流せてしまったあなたは、
エホバの証人の教えに脳が汚染されており、ちゃんと聖書を読んでいない(いや、私もちゃんと読んだわけではないのだが)。
「最後の審判」と「ハルマゲドン」は別のものなのだ。
先にハルマゲドンが来て、その後にあるのが最後の審判。
どういうわけかエホバの証人はこれがごっちゃになっているし、そもそも自分たちは裁かれないか、
もしくは裁きがあってもあっさり無罪で通過すると思っているフシがある。
詳しく順を追って確認しよう。
「終わり」が始まると、あらゆる天変地異が起き、
空が割れてイエス・キリストおよび天使の軍勢が雲に乗ってやってきて、
地上を直接統治する。
目に見える形で、だ。
この天使の軍勢を地上の悪者の軍がメギドの丘(注)で迎え撃ち、最終戦争が始まる。
当然ながら天使軍が勝利し、地上におけるイエス・キリストの統治が実現する。
そしていよいよ最後の審判が行われる。
生きている人間はもちろん、今までに死んだ人間もすべて復活させて(普遍的復活)裁きが行われる。
と、聖書に書いてある。
このことは新約聖書筆者全員が言及している。
上記の「メギドの丘」こそがアル・メギド、つまりハルマゲドンの言葉の由来であり、
日本語ではこれを最終戦争と訳す。
つまり、「ハルマゲドンを生き残る」を文字通り解釈すると、
あらゆる天変地異を生き残るといった意味しかないことになってしまう。
さらにエホバの証人は「キリストが目に見える形で地上にやってくる」という記述を真っ向から否定し、
「1914年に目に見えない形で地上にやってきた」と教えている。
今年は2014年。
「キリストの臨在から100年」として浮かれているようだが、
再臨から100年も経っているわりに、ハルマゲドンが起こったとは到底思えない状況であることについては、
誰も何も思わないのだろうか?
エホバの証人が軽視する「最後の審判」
極めつけはやはり最後の審判である。
最後の審判で重要な点は、一人ひとり裁かれるという完全な個人主義であることだ。
決して、「神の用いる指導者に盲目的に従うこと」が裁きで無罪になる条件だなどとはどこにも書いていないはずである。
誰もが、生きていたときの行いによって裁かれる。
そのときエホバの証人は「私はひたすら統治体に従って生きてきましたから無罪のはずです」
と言い開きをするだろう。
そして統治体を信じなかった者は基本的に全員有罪である。
聖書を読んで、果たしてそのような結論が導き出せるだろうか?
(注)メギドの丘…北イスラエルの地名で、現在も実在する。古来より戦略上の要衝であり、何度も決戦の地となった。日本でも同様の意味合いを持つ言葉として「天王山」がある。京都府の実在の山であり、南北朝の戦乱、応仁の乱、明智光秀と羽柴(豊富)秀吉の戦いなど、何度も歴史を左右する合戦の舞台となった。
さて、中世ヨーロッパではこの教えが元で、大変な事態が引き起こされることになってしまった。