エホバの証人の「後遺症」
エホバの証人脱却において各々の位置する段階、
属性別に潜在的に潜んでいるまさに「罠」について今まで分析してきたが、
元エホバの証人コミュニティにおいて実際になんらかの害を被る、嫌な思いをする人がいるのも、残念ながら事実である。
それも、明確に悪意を持った人間がいるという事例ではなく、
エホバの証人時代の負の遺産、いわば「後遺症」が、ある人々に強い形で出てしまっているが故に
残念な結果が引き起こされている事例というものが多い。
この「後遺症」によって引き起こされるものは、
なんとなく全体的な空気に支配されるというようなものではなく、
ピンポイントで実害を及ぼすものである。
そしてさらに残念なことに、元エホバの証人コミュニティにおいては、
実はこのタイプの罠がもっとも身近に存在するものだと感じている。
少なくとも私自身の経験では、また周辺で見聞きした事例では大半がこのタイプだ。
以下、2種類に分けて解説する。
特定の個人への依存
ものみの塔・エホバの証人による被害が大きければ大きいほど、人の心には大きな傷が残る。
その大きな傷を受けた元エホバの証人が、それを癒すべく他の元エホバの証人に依存をする、
というのがこの「後遺症」によって引き起こされる実害の1つ目である。
具体的には、排斥や特権削除など明らかに今まで得ていた”地位”を失った場合に、これが起こりやすい。
そのような場合、人間として当然持っている承認欲求の満足を一挙に失ってしまう。
それまでものみの塔に捧げていたものが大きければ大きいほど、”世”で代わりとなるものがない。
そのとき、元エホバの証人コミュニティには自分を認めてくれる下地が整っている。
自分の痛みを理解してくれる人たちが揃っている。
そこでブログを書き、大いに慰められ、再び自分に価値を見出すことが可能になる。
ここまでは物事がとても上手く進む。
問題は、この承認欲求の矛先を特定の個人に向けだすパターンが多いことだ。
元エホバの証人コミュニティにどれだけ安らぎを見出したとしても、
所詮は他人であり、ブログ上のやりとりだけではとても本当の意味で親身になってもらえているとは言えない。
人を救うことができるのは、1万人のファンよりもたった1人の恋人や友人であるのが世の常だ。
だから、ブログ上で知り合った人との個人的な付き合いというものが方々で始まるのは実に必然である。
そこで承認欲求に飢えている人は、とにかく自分という存在を全面的に受け入れてくれて、否定しない人を探す。
今までの自分を根底から否定され、無価値なものとされるという傷を負った者にとって、
少しでも自分を否定されることは多大な苦痛を伴うからだ。
傷ついていて苦しいのは自分だから、基本的に自分のことだけしか考える余裕がない。
腹を刺されて大量出血中の人間は、他人の胃痛になどかまってはいられない。
また、長らくエホバの証人として生活した人ほど、
「エホバの証人2世と1世 -行動原理の比較-」で述べたように”自己満足”を行動原理として持っている。
“特権”によって自尊心を満たしてきた人であればあるほど、
とにかく今の自分が「ダメ」だという状態では、自分で自分を認めてあげられない。
そのようなわけで、一方的に自分という存在を他人に押し付け、受け入れてもらうという歪な関係性が生じる。
もちろん、聞き手となる側がそれを受け入れられるのであれば関係が成立するが、
基本的にこの関係は不公平なもので、
片方が全面的に自分を押し付けて依存するのに対して、
もう片方は一切の反論や批判を許されず、利用され、時間をひたすら奪われるだけである。
もし機嫌を損ねた場合は、これまた一方的にバッサリと関係を切られる。
困るのはこれが悪意をもって行われているわけではないというところで、
聞き手となる側もやはりエホバの証人だっただけあって、親切で優しいことが多いため、
付き合ってあげてしまいがちだということが言える。
傷の深い人たちを、親切で優しい人たちの努力と犠牲によって支えている。
これが元エホバの証人コミュニティの良いところでもあり、危うい人間関係が懸念されるところでもあるだろう。
理屈の通用しない精神疾患
もう一つは上の例がさらに深刻化したもので、
ものみの塔・エホバの証人による被害からくるものであるにせよ、元からの性質であるにせよ、
当人が精神的な病を負ってしまっている場合である。
これはもう病であるために理屈などではなく、周囲のことが全く考えられなくなってしまうばかりか、
自分の見ている世界に自分しかいなくなってしまっていることから、
世界のありとあらゆる批判や話題が自分に向いている、という絶望的な勘違いを引き起こす。
実際に今まで”世界の全て”であったエホバの証人世界と家族からの忌避などといった現象に直面するためか、
元エホバの証人コミュニティにおいてもちょっとしたところ(他人には理解できないような理由)から
「この人は自分を敵視している」とか「この記事は自分のことを言っているに違いない」
などという思い込みに発展させてしまったりする。
そのような被害妄想を深刻化させて、勝手に誰かを仮想敵としたり、
特定の人間に付きまとって激しく攻撃したり、
ある日突然大爆発(比喩的な表現にとどめておく)したりといった形でトラブルを引き起こす。
そもそもエホバの証人には(新興宗教全般に言えることでもあるが)精神的に不安定、または精神を病んでいる人が多い。
エホバの証人内の人間関係によって、また排斥処分や忌避によって新たに精神を病む人も作りだしてしまう。
となれば、元エホバの証人コミュニティにもそのような人が一定数存在するのは至極当然と言える。
もっとも身近に存在する脅威
これらはものみの塔・エホバの証人による被害の後遺症が他人にピンポイントで波及するパターンと言え、
いちばん大きな元凶は間違いなくものみの塔であるが、
その最大の被害者である人が、悪意なく加害者化して他者に迷惑をかけてしまうという点で複雑な構造を持っている。
さらに、この問題はおそらく解決しようがない。
これからもものみの塔による被害者は止めどなく量産され、
精神を病んでいる場合は医者などが当然治療に当たるわけだが、
やはりこの問題に根本的に共感できるのは元エホバの証人以外にはいないからだ。
精神的に不安定な人間によってコミュニティがかき回されるのは世の中どこでも起こり得ることではあるものの、
元エホバの証人コミュニティでは比較的明確に存在する罠であり、
これが原因で無用なトラブルを招いた例は数多くあるし、
潜在的にもまたかなりの例があるはずだ。
通常時は多くの人の善意によって「愛で覆われて」いたものが、
ふとしたタイミングで一気に膿となって噴出し、
トラブルやコミュニティの崩壊、コミュニティからの撤退の引き金となる。
それを繰り返しながら存続し続けているのが、元エホバの証人コミュニティというものだ。
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